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feed 20150411 ラジオの製作1977年1月号 (2015/4/11 2:56:04)
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「ラジオの製作」1977年1月号を最近入手することが出来ました。小学6年だった1976年当時から数年間は毎月買っていましたが現在数冊しか残ってません。もちろん1977年1月号も買って読んだ記憶もあるし内容も覚えていました。その1977年1月号には皆川隆行氏の「市民無線活用講座」の第1回が掲載されていましたが、残念ながら当時買ったはずの1977年1月号は手元に残っていませんでした。


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皆川隆行氏の「市民無線活用講座」。 現在の「フリラ」「ライセンスフリー無線」に繋がる70年代後半から80年代にかけて興った合法CBブームはここから始まったと言っていいでしょう。

講座記事中にもありますが、前年の76年に市民ラジオのトランシーバーに市民ラジオに割当られている8ch全ての周波数を実装できるようになり、ナショナルからRJ-35、ソニーからはICB-680が発売された。両機の検定合格日は同じ1976年5月24日、記事には夏に発売となっていますが、RJ-35やICB-680を店頭で見るようになったのは秋頃だったと記憶しています。検定合格日が1976年5月24日と知ったのはずっとずっと後になってからです。それまで2chしか実装が許されませんでしたが、8chを実装したことも、市民ラジオの人気が出た原因のひとつだったんでしょう。

皆川氏の当時の愛機であり、日本のCB史に残るナショナル最初の8ch機であるRJ-35ですが、現在はヤフオクなどでもあまり人気はないようですね。皆川氏の「めぐろE55」はRJ-35のコールサインだったと思います。私も1台所有してはいますが調子も良くないので実際に運用に使うことはありません。それにくらべソニー最初の8ch機ICB-680はハンディ機の中でも現在もとても人気がありますね。私自身も旅行等でハンディ機1台だけを持って行く時はICB-680を選んで持って行きます。

今をときめく、もて囃される?ICB-680もそのデビューはとても地味で新発売の誌面広告どころか、発売されたことすら当時は知りませんでした。もちろんRJ-35の発売も店頭で見るまでは知りませんでした。市民ラジオの2大メーカーもそれくらい消極的だったようです。

当時の合法CBブームに直接連なるのが現在の「フリラ」「ライセンスフリー無線」、途中にパーソナル無線を挟むにしてもパーソナル無線もCB無線の代替えという性格の無線制度でしたから。
現在の「フリラ」「ライセンスフリー無線」界において私自身はいわゆる市民ラジオの「復活組」と呼ばれるカテゴリーに入ると思います。市民ラジオは1976年の5月に「ならAI46」を2ch機のICB-700Aによりの開局し、どっぷり市民ラジオの世界に入りましたので、開局に際して私自身は皆川隆行氏の影響は受けていません。逆に「市民無線活用講座」の回が進むごとに皆川氏の書かれている内容に対して反発し「何言うとんねんサングラスかけたこのオッサン」と思ったものです(笑)



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1977年1月号のナショナルRF-2200の広告。スカイセンサー5900の発売から一年後にRF-2200が発売され、BCLブームはピークを迎えていました。メーカーの販売戦略はBCLラジオだったようで、各メーカーともBCLラジオの広告にとても力を入れていました。「ラジオの製作」でも松下もソニーも合法CB機の広告はゼロ。下の写真にあるように、唯一巻末のショップ広告にRJ-35が載っているだけでした。メーカーが広告を出していないRJ-35の知名度はほぼ無いに等しかったと思います。


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1976年12月号と1977年1月号の巻末の大阪日本橋の同じショップの広告の比較です。1976年12月号は当時自分で買ったものが現存していました。
1976年12月号までは沢山載っていた輸出用CB機の広告が1977年1月号では全く無くなります。輸出用CB機というもののFCCは40chですので46ch機って北米輸出用じゃないですよね。FCCが23chから40chに拡張されたために大量に国内に滞留した23ch機やその部品を46chにした国内向けの違法機ですよね。


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「ラジオの製作」1976年12月号の巻頭近くの九十九電機にも「輸出用トランシーバー」の広告が沢山。 この当時にすでにNASA72GXがあったんですね。広告は46chとなってますが72chじゃないのかな?名機サマーキャンプ(ゾンマカンプ)TS-5024PやオーフナOF-912やコルト450、ユニバース747もありますね。

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「ラジオの製作」1976年12月号の巻末のショップ広告。このショップの広告を見るのが楽しみでした。NASAの真空管機が新型機?右ページのNASA72GXも46chとなってますが?3階建ての72chと思うんですが??
76年半ばまではトーカイブランドのリグも多かったんですが、この時期になるとトーカイブランドのリグを見なくなりました。



当時のラジオの製作を眺めて、76年に私が市民ラジオを始めた頃を思い出して懐かしんでいました。 当時の11mは合法局、違法運用局も局数が少なく境界は曖昧で文字通り「市民ラジオ」的でとても牧歌的な11mバンドでした。当時の市民ラジオは市民に開放された無線、市民によって自治された無線を目指していたように感じました。

その後、ラジオの製作に端を発する合法CBブームで中高生を中心とした合法局「皆川チルドレン」とでも呼ぶべき局の急増と、時期を同じくして違法CB局の急増、こちらは「映画トラック野郎」の影響も大きいかな。その後11m運用局が急増することによって揉め事も増えるようになってきて11mバンド全体が殺伐とした雰囲気になってきます。

その辺りの事情はまたいずれ。

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