無線ブログ集
メイン | 簡易ヘッドライン |
最後の学生生活 (2013/3/8 0:41:22)
このところ、就職活動に影響するのが怖くて更新を控えていましたが、そのうちすっかりブログのことを忘れていました(汗(汗
始めの頃は1日1更新したりとかなりネットに時間を使っていましたが、この5年間で大分変わりました。
趣味と勉強の比率はガラッと変わり、更に研究などが加わって最後の1年間は大忙しで、8時半から学校へ行き、22時まで研究をして、時間がある時はひたすら睡眠をとっていた1年間でした。
期末テストも研究発表も終わり、残るは卒業が待ち受けるのみとなりました。
長かった寮生活も終わり、寮の荷物は全て持ち帰るか処分しました。
処分したものには懐かしいものや入学当時の思い出があるものもたくさん有りましたが、何でもかんでも大事にとっておくと処分できない荷物が瞬く間に増えていくのを私は知っています。そういう先生がいるので(笑
そのため、必要最低限の荷物+無線関係のものしか手元に残しませんでした。あとは思い出の品をちょこっと。
思い返してみるとこの5年間、無線をきっかけに様々な人と知り合いました。
フリーライセンス無線家の方々、アマチュア無線家の方々、そして同年代の無線家の人達。
今は非公開に設定していますが、ブログを始めたころの記事を見ていると本当に懐かしいです。
今の電気・無線の人生の全ては小学校1年生の頃に始まりました。
図書館の電気関係のコーナーで、送電についての漫画や、電子工作の本を毎週借りていました。
両親の話によると、小学校低学年の頃から「電線が3本ある理由」について興味をもち、通学中も車での移動中も常に電線を見ながら過ごしていたそうです。
こうやって話を聞いていると、私と電気との関係は運命なんだろうと思います。
翌年小学2年製の頃、借りた本の背表紙を見て天神にパーツショップがあることを知り、父親に連れて行ってもらいました。
図書館で借りている本はキットものではなく、ユニバーサル基板で制作するものばかりで、この年からパーツショップで部品を1つ1つ買い、ユニバーサル基板で回路を組み立てていました。
小学3年生のころサンタさんにテスターを頼みました。小学3年生のクリスマスプレゼントがテスターだなんておかしいですよね(笑
「両親は工学系の人なの?」とよく言われますが、うちの両親はこういうものとは全くの無縁で、全ては私の好奇心によるものでした。
小学校高学年になると、「子供の科学」という雑誌を毎月買うようになり、電子工作コーナーとjava_scriptのプログラミングコーナーは切抜きしてファイリングする程でした。
中学生になって「トランジスタ技術」を毎月買って読むようになりました。この時から電子回路設計について独学でかなり勉強し、中学校の時に身につけた知識は高専の5年生の内容でも部分的にはまだ余るほどで、高専の授業では物足りなかったのが正直な感想です。しかし、高専の授業は数学的に回路解析する点では、非常に役に立ちました。
電気に目覚めたのは小学校に入りたてのころでしたが、無線に目覚めたのはいつの頃からか、中学生の時にパーツショップに並んでいた広帯域受信機が目に止まったのが始まりです。なんなんでしょうね、こういった何も知らないものに引き寄せられるのは今になってもよくわかりません。
といっても広帯域受信機というものは、1/4Wのカーボン抵抗器と比べものにならないほど高価なものでとても手を出せず、クリスマスプレゼントにIC-R5を買ってもらいました。
最初はラジオを聞いたり、よくわからない無線を傍受したりしていましたが、夜の9時ごろに活発になるながーいローカル局の日常話が聞こえてきたのがアマチュア無線に知り合ったきっかけです。
工学系の勉強をしたかったため、私は高専という進学先を選びました。
今思うと、高専に入ってよかったという思いが50%、後悔が50%です。
高専は安定した就職率、すなわち即戦力になる高度な技術と知識をもった人材を育てるのが売りです。
高専を卒業した人は全員技術者の卵であり、企業と大学に放出されます。
卒業生のうち1/4~1/3は大学に進学していきます。高専は進学校でないためか、普通の高校と違い「猛勉強」という雰囲気がなく、最初の数年はだらーっと過ごしていました。これが今となっては仇となり、進学校へ進学した人との差が開くことになりました。
高専に入るには中学校では少なくとも並以上の成績が必要です。高専に入って最初から本気で勉強していれば、いい大学に行けたのにというのが最大の後悔です。
しかし、高専に入ったからこそ今の自分があります。自分の愛する電気の勉強が、学校という場所でできたのは、他の人とくらべて幸運です。
同じ電気科の同級生の中で見ても、自分の好きなことを勉強できたという点では、他の誰にも負けないと思っています。
電気の勉強を続けて学校の電気の先生になるのも1つの道でした。
卒業研究で他の人を指導する経験がありました。教えるのは下手くそでしたが、自分は教えるのが好きなのかもしれないと感じました。
内定を頂いてもうかなり時間がたちましたが、今年の4月から無線関係の企業に就職することになりました。
高専に入って無線を始めてから、私の夢は「無線の回路設計をする」ことだけでした。
近年、「人が企業を選ぶ」という困った状況が増えていますが、私は「その企業に自分を選んでもらえる」よう必死でした。
まだ当時は5月でしたが、その企業に選んでもらえなければ進学に切り替えようと思っているほどでした。
これからも好きな電気、無線の仕事が一生できると思うと幸せです。
趣味(の分野)を仕事にする、というのは賛否様々ありますが、私は趣味を仕事にしたいと思っていました。
決して仕事を遊びでやるという意味ではありません。法律が好きな人が弁護士になったりするように、電気が好きな人が技術者となるという意味です。
好きでもない仕事を淡々とやるというのは私には耐えられそうに無いと思いました。
そのため、安定した職業として人気が高い、公務員には絶対になりたくないと思っていました。
こうして私も4月から社会人となり、好きな仕事をできるのは知り合った皆様のお陰であり、大変感謝しています。
いろんな人と出会い、その道に乗せてもらったからこそ今の現実があります。
もし、このブログを始めずに普通の生活を送っていれば、今頃何をしているか想像もつきません。
ブログ開設から5年間、お付き合いいただいた皆様にお礼を言わせていただきます。
今まで本当にありがとうございました。
--------
P.S.
さよならの挨拶のようですが、ブログはまだまだ続きます^^
ネタがあれば投入していきますので、今後ともよろしくお願いします。
P.P.S.
国語の勉強がしたい(作文能力)
始めの頃は1日1更新したりとかなりネットに時間を使っていましたが、この5年間で大分変わりました。
趣味と勉強の比率はガラッと変わり、更に研究などが加わって最後の1年間は大忙しで、8時半から学校へ行き、22時まで研究をして、時間がある時はひたすら睡眠をとっていた1年間でした。
期末テストも研究発表も終わり、残るは卒業が待ち受けるのみとなりました。
長かった寮生活も終わり、寮の荷物は全て持ち帰るか処分しました。
処分したものには懐かしいものや入学当時の思い出があるものもたくさん有りましたが、何でもかんでも大事にとっておくと処分できない荷物が瞬く間に増えていくのを私は知っています。そういう先生がいるので(笑
そのため、必要最低限の荷物+無線関係のものしか手元に残しませんでした。あとは思い出の品をちょこっと。
思い返してみるとこの5年間、無線をきっかけに様々な人と知り合いました。
フリーライセンス無線家の方々、アマチュア無線家の方々、そして同年代の無線家の人達。
今は非公開に設定していますが、ブログを始めたころの記事を見ていると本当に懐かしいです。
今の電気・無線の人生の全ては小学校1年生の頃に始まりました。
図書館の電気関係のコーナーで、送電についての漫画や、電子工作の本を毎週借りていました。
両親の話によると、小学校低学年の頃から「電線が3本ある理由」について興味をもち、通学中も車での移動中も常に電線を見ながら過ごしていたそうです。
こうやって話を聞いていると、私と電気との関係は運命なんだろうと思います。
翌年小学2年製の頃、借りた本の背表紙を見て天神にパーツショップがあることを知り、父親に連れて行ってもらいました。
図書館で借りている本はキットものではなく、ユニバーサル基板で制作するものばかりで、この年からパーツショップで部品を1つ1つ買い、ユニバーサル基板で回路を組み立てていました。
小学3年生のころサンタさんにテスターを頼みました。小学3年生のクリスマスプレゼントがテスターだなんておかしいですよね(笑
「両親は工学系の人なの?」とよく言われますが、うちの両親はこういうものとは全くの無縁で、全ては私の好奇心によるものでした。
小学校高学年になると、「子供の科学」という雑誌を毎月買うようになり、電子工作コーナーとjava_scriptのプログラミングコーナーは切抜きしてファイリングする程でした。
中学生になって「トランジスタ技術」を毎月買って読むようになりました。この時から電子回路設計について独学でかなり勉強し、中学校の時に身につけた知識は高専の5年生の内容でも部分的にはまだ余るほどで、高専の授業では物足りなかったのが正直な感想です。しかし、高専の授業は数学的に回路解析する点では、非常に役に立ちました。
電気に目覚めたのは小学校に入りたてのころでしたが、無線に目覚めたのはいつの頃からか、中学生の時にパーツショップに並んでいた広帯域受信機が目に止まったのが始まりです。なんなんでしょうね、こういった何も知らないものに引き寄せられるのは今になってもよくわかりません。
といっても広帯域受信機というものは、1/4Wのカーボン抵抗器と比べものにならないほど高価なものでとても手を出せず、クリスマスプレゼントにIC-R5を買ってもらいました。
最初はラジオを聞いたり、よくわからない無線を傍受したりしていましたが、夜の9時ごろに活発になるながーいローカル局の日常話が聞こえてきたのがアマチュア無線に知り合ったきっかけです。
工学系の勉強をしたかったため、私は高専という進学先を選びました。
今思うと、高専に入ってよかったという思いが50%、後悔が50%です。
高専は安定した就職率、すなわち即戦力になる高度な技術と知識をもった人材を育てるのが売りです。
高専を卒業した人は全員技術者の卵であり、企業と大学に放出されます。
卒業生のうち1/4~1/3は大学に進学していきます。高専は進学校でないためか、普通の高校と違い「猛勉強」という雰囲気がなく、最初の数年はだらーっと過ごしていました。これが今となっては仇となり、進学校へ進学した人との差が開くことになりました。
高専に入るには中学校では少なくとも並以上の成績が必要です。高専に入って最初から本気で勉強していれば、いい大学に行けたのにというのが最大の後悔です。
しかし、高専に入ったからこそ今の自分があります。自分の愛する電気の勉強が、学校という場所でできたのは、他の人とくらべて幸運です。
同じ電気科の同級生の中で見ても、自分の好きなことを勉強できたという点では、他の誰にも負けないと思っています。
電気の勉強を続けて学校の電気の先生になるのも1つの道でした。
卒業研究で他の人を指導する経験がありました。教えるのは下手くそでしたが、自分は教えるのが好きなのかもしれないと感じました。
内定を頂いてもうかなり時間がたちましたが、今年の4月から無線関係の企業に就職することになりました。
高専に入って無線を始めてから、私の夢は「無線の回路設計をする」ことだけでした。
近年、「人が企業を選ぶ」という困った状況が増えていますが、私は「その企業に自分を選んでもらえる」よう必死でした。
まだ当時は5月でしたが、その企業に選んでもらえなければ進学に切り替えようと思っているほどでした。
これからも好きな電気、無線の仕事が一生できると思うと幸せです。
趣味(の分野)を仕事にする、というのは賛否様々ありますが、私は趣味を仕事にしたいと思っていました。
決して仕事を遊びでやるという意味ではありません。法律が好きな人が弁護士になったりするように、電気が好きな人が技術者となるという意味です。
好きでもない仕事を淡々とやるというのは私には耐えられそうに無いと思いました。
そのため、安定した職業として人気が高い、公務員には絶対になりたくないと思っていました。
こうして私も4月から社会人となり、好きな仕事をできるのは知り合った皆様のお陰であり、大変感謝しています。
いろんな人と出会い、その道に乗せてもらったからこそ今の現実があります。
もし、このブログを始めずに普通の生活を送っていれば、今頃何をしているか想像もつきません。
ブログ開設から5年間、お付き合いいただいた皆様にお礼を言わせていただきます。
今まで本当にありがとうございました。
--------
P.S.
さよならの挨拶のようですが、ブログはまだまだ続きます^^
ネタがあれば投入していきますので、今後ともよろしくお願いします。
P.P.S.
国語の勉強がしたい(作文能力)
execution time : 0.021 sec