無線ブログ集
メイン | 簡易ヘッドライン |
ミニAM放送 その1 (2015/11/5 17:17:51)
以前の記事に追記しています。
SWLカードではなくて受信報告書を受け取ったことがあります。山田耕嗣先生監修のアドカラー製受信報告書。BCLでこれを使っていた人には懐かしいものですよね。ワタシも使っていました。この受信報告書を送ってくれたのは小中学校で一緒だったN君。
1976年5月に2ch機のICB-700Aで市民ラジオ開局しましたが、8ch実装機が発売される前で市民ラジオを運用している局はまだ少なく、特に1ch、2chに出てくる合法運用局が少なくて、しばらく一人喋りをしてから、CQを出したりしていました。
一人喋りの「放送」はBCLラジオでCBLしてる同じ中学のBCL仲間に向かって毎日午後8時から15分間。内容は、海外日本語放送のパクリIS、一人喋りや音楽を流したり、手書きベリカードも発行して、今では考えられませんが受信報告書の送り先の住所氏名もアナウンスしていた。市民ラジオブームの火付け役となる1977年1月号の皆川氏の「市民ラジオ活用講座」が始まる前でしたが、76年の夏頃には 市民ラジオにぼちぼち中高生の運用局が出てきた。
2ch機しか無い時代でしたので皆が1chか2chに出てきます。
上記の「市民ラジオ放送」は自然消滅しました。
「Radio Anmon」は当時珍局と言われた「アンマン放送」のパクリです。
この受信報告書をくれたN君はその後、電気関係の学校に進み電機関係の仕事に就いたと聞いています。N君の名前をネット検索すると「日本応用磁気学会誌」という専門誌の論文の中に名前を見つけました。N君の名前はユニークなので同姓同名が居るとは思えませんのきっと本人だと思います。N君も私より少し後にICB-700Aで市民ラジオを開局しました。
このN君とは小学高学年の頃からよく無線ゴッコをして遊びました。27.125MHzのオモチャのトランシーバーに006Pを2本直列供給し外部アンテナをつなぎ送信、BCLラジオでセパレート受信、N君はスカイセンサー5800で私はクーガ115。自宅は1kmほど離れていましたがこれでもなんとか交信できました。ICB-700Aで市民ラジオ開局する前のフリラ運用でした。パナソニのレッツノート開発者で現車載エレクトロニクス事業部長のO君とN君と私は同じ小学校同級生で同じ中学、N君とO氏は同じ高校の電気科だったと思います。私はしがない個人事業を営んでいますが、この歳になると同窓生の活躍が嬉しいものです。
※市民ラジオでの放送行為は電波法的には運用目的の逸脱でだめですよね。
つづく
execution time : 0.015 sec