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feed ミニAM放送 その2 (2015/11/6 0:18:02)
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「ラジオの製作」1976年1月号 ニコルスで有名な二光通販のあやしい広告でも、あやしいステレオFM送信機の広告が。


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「ラジオの製作」1976年7月号 光波無線の広告ではAM送信機の広告が。

前回の「市民ラジオ放送」の自然消滅後の話です。消滅後も放送を続けようと思いました。普通なら手軽にFMトランスミッターを使ってということになり、FMトランスミッターは76年当時の「ラジオの製作」でも広告が出ていました。当時の中学生の多くはFM放送ではなく中波ラジオを聞いていましたので中波でのAM放送にこだわりました。ラジオの製作の通販で買おうかとも思ったんですが、当時は通販で物を買うことに抵抗がありましたので通販購入は断念。

前回も登場したN君が持っていた電波関係の自作本に真空管を2本使ったAMトランスミッターの製作記事が載っていましたので、その記事を参考に真空管式AMトランスミッターを作ることに。当時、奈良市内にあったニノミヤ無線には電子パーツ部門があってそこで真空管や山水のトランスを買うことができました。山水のトランスはそれだけで家電メーカーのFMトランスミッターを買えるくらい高かったように記憶しています。76年当時にはまだ自作パーツとして真空管が普通に売られていたんですね。AMトランスミッターの製作には中学で同じ無線部だったK君の力を借りました。K君は中2で2アマ合格、50MHzの真空管50Wリニアアンプを自作したツワモノです。K君のお父さんはNHKの技術職で高周波の専門家でした。この時、宝山のハンドニブラをK君に貸しパクられてしまいました(笑)

真空管式AMトランスミッターは完成はしたのですが100mも飛ばない。実家は中学校の校区の端の方でした、しかも1kmほど水田地帯を隔てた向こう側に多くの友人リスナーが住んでいた、遠い友人だと4kmほど離れているので到底飛びそうもない。ミニFMなら波長4mほどで1/2λのDPで全長2mほどの大きさなので簡単にアンテナも作れますが、1600KHz付近でも波長は190m近くになり1/4λで47.5m、実家は田舎の農家なので広さはあったものの、さすがにそんな長いロングワイヤーアンテナは張れませんでした。せめて同調だけでもということでBCL用のアンテナカプラーを付けたものの短波受信用のカプラーでまともに同調できるはずもなく、やはり全然飛ばずにミニAM放送構想は頓挫してしまいました。

その後、使い物にならなかったAMトランスミッターの高価なトランスは定電圧電源用として再利用されました。

ミニFMブームの最中に小洒落たミニFMを扱った映画としては1991年「波の数だけ抱きしめて」が有名ですが、それよりも10年以上の1978年に海賊放送をモチーフにした森本レオ主演の「オレンジロード急行」って映画がありました。反体制的な70年代青春物の匂いがする映画で面白かった。ちなみに「波の数だけ抱きしめて」の舞台設定は1982年らしいのですが、「オレンジロード急行」と4年違うだけなのに時代感にすごくギャップがあります。私的には「オレンジロード急行」の方が断然面白い。


ミニAM放送 その1↓

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