無線ブログ集
メイン | 簡易ヘッドライン |
20160409 本日のフリラ運用とナラR83局のテンテン (2016/4/9 23:55:59)
午前中、周りをマンション囲まれた非常にロケが悪い自宅ベランダ、そこに設置した5エレに繋いだDPR3で迫川村伯母子岳山頂移動の「ミエMK113局」とQSO出来ました。ビームは南向け、南の建物の隙間から交信できたようでした。
お昼前にCMベース兼常置場所の北向きベランダに設置したDCR用5エレ八木を外して、西と南に開けた廊下側で5エレ八木手持ちビームでポータブル運用しました。大阪府堺市固定の「オオサカDC101局」、河内長野市固定の「きんきBQ81局」と交信いただけました。大阪府堺市固定の「オオサカDC101局」は奈良市内から三郷町の大和川が大阪側に抜ける山がないポイント付近向けビーム、河内長野市固定の「きんきBQ81局」とは奈良大阪県境の二上山と大和葛城山の間から和泉山脈の岩湧山山頂が見えるポイント向けビームが最もよく入るポイントでした。「きんきBQ81局」は河内長野市固定で3エレビームを岩湧山山頂に向けているとのことで山岳反射での伝搬かと。
夕方は沖縄、山川のイオノグラムF層トレースがこの上なく良く、奈良市郊外沖縄ポイントにて市民ラジオ運用しました。結局は市民ラジオでの入感局はありませんでした。
下の動画は市民ラジオ運用後、撤収時に自宅の「ナラR83局」に撤収連絡した際の動画です。事前にリハーサルしたわけではないガチ動画です。あまりに小慣れたQSOにおやぢのAI46も驚きます。「テンテン」ってwww。「テンテン」(10-10)交信終了を意味するテンコード。
SNSでもつぶやきましたが、テンテン(10-10)などのテンコード(10コード)って違法局が使い始めたものと勘違いされている局も多いと思います。元はアメリカの警察やCBで使われていた通信コードで日本では昭和40年代後半に公開された市民ラジオをモチーフに描かれた円谷プロのテレビドラマ「緊急指令10-4
10-10」で広まりました。小学生の頃、私AI46も観ていました。ラジオの製作での皆川氏の記事を切っ掛けの一つとして始まった昭和50年代の市民ラジオブームが始まるまで、昭和50年台初頭までの私の知る奈良ローカルの少数の健全なCB少年もドラマの影響でテンコードを使っていました。その後、点々というコトバは口笛に取って代わられ違法局もテンコードは継承しておらず、昭和50年代の市民ラジオブームで開局した少年たちには違法局が使い物として駆逐されてしまったテンコード。今では和歌山県太地町の枕詞として「テンテン天国」という言葉が往時を懐かしく偲ばせる程度でしょうか。
親父が市民ラジオ開局した時には使っていたテンコード、特にファイナル時の「テンテン」は市民ラジオの文化として在ったことを娘に伝えておきたかったので教えました。ナラR83局も私相手でしか「テンテン」は使いませんが。
□ならAI46の交信局(デジタル簡易無線)
20160409 1045 ミエMK113局 M5/M5 DCR13 奈良県伯母子岳山頂
20160409 1130 オオサカDC101局 M5/M5 DCR17秘話 大阪府堺市固定
20160409 1140 きんきBQ81局 M5/M5 DCR17 大阪府河内長野市固定
20160409 1834 ナラR83局 M5/M5 DCR00秘話 奈良市固定
下のイオノグラムはNICTサーバが朝からダウンしてるようでしたので、第2サーバのイオノグラムです。
execution time : 0.052 sec