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feed U42のハムライフ・その1 (2016/4/29 21:20:33)
2016年4月29日(金)
市民ラジオを開局して35年。アマチュア局を開局して33年。
すいぶん長い年月が過ぎました。
記憶が薄れないうちに、BLOGに書き止めておこうと思います。
今回はアマチュア局に焦点を当てます。
題して「U42のハムライフ」。
第1回は「アマチュア無線を志す」です。
過去に書いた記事に若干重複することもあるかと思います。お許しを。


1979年(昭和54年)、当時、私は中学3年生。
300人ほどいた中学の同級生のうち、2人がアマチュア局を開局していました。
その2人、クラスは違いましたが比較的親しい仲で、ともにBCL仲間でした。

1人は電器屋の息子K君。
技術力は抜群で、夏休みの工作で7MHzDC受信機を自作。
バーニヤダイヤルを搭載した自作受信機をみて「すごいなぁ~」と思いました。
彼が今年2月に再会した6mマンでした。

もう1人は秀才のO君。
お父さんが元プロ野球選手。彼もまた熱心な6mマンでした。
TRIOのR-300を駆使し、世界各国のベリカードをゲットしていた憧れの存在。
兎に角、言うこと成すこと切れていた存在でした。

彼らとその仲間は6名ほどのグループ。「出るなら6mのSSBだなぁ・・・」などと話し合い、当時、学生バンドと言われた50MHz信奉者の集まりでした。
(のちの開局時、私は7MHzで第一声を上げることになるのですが・・・)

1980年春、私はグループのもう1人の友人、H君とともに高専に進学。
H君とは腐れ縁で、中学3年生から高専卒業までの6年間ともに同じクラス。
高専はクラス替えが無かったので当然と言えば当然。卒業研究も同室でした。
さらに私が就職して最初の赴任地が徳島、彼は徳島大学へ進学。
常三島キャンパスで下宿が助任本町(だっかたな?)。
なので、時々遊びに行きました。

そんな彼らと遊んでいるうちに、私も「アマチュア無線がやりたいなぁ・・・」と思うようになりました。そして一念発起して買った本がこれです。


イメージ 1

新アマチュア無線受験マニュアル(電波新聞社)
この本はミズホ通信社長の高田継男先生が監修されていて、シャックの写真とか自宅のお庭で無線機とともに写っておられる写真が載っていました。
この時からお世話になっていた・・・ってことかな?

しかし、高専進学後は早起きしての通学や学業そのもので疲弊。
特に数学には悩まされました。
しばらくはアマチュア無線のことを忘れてしまうような状況に陥ります。

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