無線ブログ集
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U42のハムライフ・その10 (2016/5/20 1:49:16)
第10回「電信の練習」
四国で過ごした1年は想い出がたくさん残りました。
まずは宇高連絡船。
お盆、正月の帰省や出張などで6往復くらいしました。
所要時間は1時間ほど、瀬戸内海に点在する島を眺めながらの船旅の船旅。
潮風に当たりながら「さぬきうどん」を食べます。
記憶が定かではありませんが、「阿波丸」、「伊予丸」とか、四国4県の旧国名の船名がついていたような。当時はまだ日本国有鉄道の運航。当然のことながらJNRのマークがありました。
下りの高松駅は問題ないのですが、上りの宇野駅は競走です。
何せ、ほぼ全員の乗客が次の宇野線岡山行きに乗るわけですから。
青春18きっぷの「大垣ダッシュ」みたいなものです(笑)。
宇野線は座れたことはありません。立ちっ放しの記憶だけが残っています。
その年、四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋が開通。
「鳴門ピア(なるとぴあ)」という博覧会が開催され、行きました。
JA5RLが公開運用されており、電波を出してみるか・・・と意気込んで行くも、無線従事者免許証を不携帯。運用断念。この経験から、今はほぼ常時携帯しています。
夏、日和佐の海水浴場でBBQ。
日中、海で遊びすぎて猛烈な日焼け。肌は熱いのに寒気がします。
このときばかりはヤバイと思いました。
8月12日、阿波踊りに参加。
道路の両脇に観客席がある演舞場を堂々と踊りながら行進。
鳴り物と笛の「よしこの」(阿波踊りのテーマ曲)を聞くと、当時を思い出します。
阿波踊りを踊って寮に帰り、日航機墜落のニュースを知りました。
翌年1月、室戸岬経由で高知へ旅行。
南国市の西島園芸でメロンと西瓜を食べました。美味しかったですね。
高知城、桂浜、朝市などを見ました。
何時だったか忘れましたが、金刀比羅宮にお参りしました。
1368段の階段を登ってお参り。
その後に食べた「たらいうどん」の味が忘れられません。
少し話は脱線しますが、今年、久しぶりに四国へ行きたいと思っています。
問題は夏休みが取れるかどうか・・・です。
さて、本題。
6mSSBの運用は楽しかったですが、CWを運用したいと思うようになりました。
境港のJE4***Iさん、松江のJA4***Mさんのお話や姿を見て、何時かは2アマ・・・という思いが強まり、まず電信級へのチャレンジを決めました。
CWの練習を始めたのは、1986年1月ごろからだったと思います。
CQ出版の「モールスマスター法」というカセットテープで練習。
最初に覚えた符号は「Z」。
「Z」と数字の「2」を混ぜて送信し、書き取るというものです。
こんな感じで電信の「つらく厳しい第一歩」が始まりました。
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