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2016.09.19_神奈川県立横浜平沼高校の旧校舎 (2016/9/19 16:23:06)
「1990年に新築した校舎も外壁がひび割れてボロくなっちゃったなあ~。」
横浜での買い物帰りに、久しぶりに母校の前を歩いてみました。
当局の卒業後に建替えられた新校舎ですが、それでも築25年は経っており結構ボロボロで、ちょっとびっくり。
「自分が通っていた校舎はもっとボロボロだったなあ・・・。」
というわけで、久しぶりに昔のアルバムを引っ張り出してみました。
映っているのは、当局が通った旧校舎の写真。
当局が卒業した1985年から5年後の取り壊される直前1990.01.07に撮影したものです。
この校舎は関東大震災で倒壊して、1928年(昭和3年)に建設されました。
正門に面する教室の窓。よく窓から紙飛行機を飛ばしていました。
屋上には後から図書館が増築されています。建物の角は、さり気にデザインされています。
バルコニーもあって、昭和天皇がいらっしゃったとのことです。
これは後から建てた新校舎。といっても既にボロボロ。理科室や音楽室などが入っていました。
新校舎の屋上には当時のお約束、無線部の屋根馬が乗っかっています。(笑)
中庭には「心」の形の池。心字池と呼ばれていました。
プールは建物の屋上にありました。水泳の授業はきつかったです。
写真右側が男子トイレ。もともと女子校だったので男子トイレは後から付けたようで、渡り廊下でトイレに行く必要がありました。ゴキちゃんがたくさん住んでいましたね。
廊下の床は、長い年月で摩耗され地肌が出ています。まあ、当時は正門前の駄菓子屋まで上履きのままで行っていましたから、廊下も砂だらけでしたね。
階段も暗いし汚い。
廊下に飾られた壁画。お約束のお話で、夜になると絵の人数が一人増えると言われていました。(笑)
これは売店の看板。美術部が描いたのでしょうか?
教室の写真は見つからないのですが、当局が1年生時の教室は、戦争当時、空襲での遺体安置室だったそうで、木の床に血が浸み込んで落ちないため、上から新たに貼ったとの話を聞かされました。
水道のデザインもギザギザしていて大正のアールデコっぽい感じ?
久しぶりに写真を見返してみましたが、やっぱりボロでも思い出の詰まった建物は良いものですね。
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