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link 無線局 とっとりU42 無線局 とっとりU42 (2019/12/16 10:35:37)

feed 謹賀新年2017 (2017/1/1 0:00:00)
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

さて今年の干支は「酉(とり)」。なので新年第1回目はニワトリに関する話。
いつもお参りする神社は平塚駅にほど近い平塚八幡宮ですが、私が平塚で暮らすようになった1990年当時、神社にはたくさんのニワトリがいました。彼等はある程度空を飛び、木の枝につかまっていました。先輩方に話を伺うと「夜店の景品だったヒヨコが成長し、飼えなくなった人が八幡神社に放った」とのことでした。

ニワトリも鳥ですので、もともとは空を飛んでいたそうですが、人が家畜として育てるようになって飛ばなくなったらしいです。
私は年に数回、八幡神社を訪れますが、最近ではニワトリを見かけることはありません。彼等は「オス」ばかりなので子孫を残せず、いなくなったと思われます。

今から40年前、境港でも「土曜夜市」と呼ばれる夜店があり、当時はそれなりに賑わっていました。そこでも夜店の景品でヒヨコが配られていたことがあったのです。
それで1977年6月下旬ごろ、我が家に8羽のヒヨコがやってきました。


イメージ 4

そのヒヨコを当時小学校4年生だった弟がかわいがっていました。
ヒヨコはみるみる大きくなり、黄色い羽根は白くなり、赤いトサカが出てきてニワトリへと成長していきました。当然ながら家の中では飼えなくなり、急遽、父が自作のニワトリ小屋を建てました。

弟は彼等の世話をして育てていました。夏休みの自由研究の題材として取り上げ、全校児童の前で発表したと聞いています。↓は1977年の写真です。


イメージ 1

ところが、小屋はあるものの基本的には放し飼い。1羽、また1羽少なくなっていきました。1977年の秋には5羽まで減っていました。
そして、その年の11月のある日、ニワトリ小屋が野良犬の襲撃に遭い、無残にも食べられてしまうという出来事があったのでした。
弟はその惨状をみて、非常に悲しんでいましたが、不幸中の幸いとでも言いましょうか、1羽だけ生き残ったニワトリがいたのです。


イメージ 2

それがこのニワトリです。1981年12月ごろの写真。
彼は1988年7月に息を引きとるまで実家で11年間暮らしていました。
ニワトリの寿命...統計データがあれば確認したいところですが、通常ならばオスのニワトリは食肉用としてお店に並び、我々の食卓に上ったりする運命でしょう。
そう思うと彼は幸せな人生...いや、鶏生?を送ったんだろうな~と思います。

私の学校の先輩に「自分の家でも夜店でもらったニワトリを飼っていた」という方がいらっしゃいました。こんな感じで夜店で配られたヒヨコが飼われていた事例もたくさんあると思いますが、実際のところはどうでしょう?


イメージ 3

ということで、今年も1月2日、この「ニワトリ」を確保すべく、いざ湘南平へ。
第70回QSOパーティーは6m SSBを中心に出る予定です。

今年も私の「喜怒哀楽」を綴っていこうと思います。
何卒よろしくお願いいたします。

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