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feed 20170511 昭和51年5月11日ならAI46開局 (2017/5/11 1:38:41)
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「ならAI46」の免許年月日は41年前の昭和51年5月11日。この免許は「ならAI46」の開局リグであるSONY ICB-700Aに付属していた申請書で申請した免許です。小6の3月に申請して免許が届いたのが5月、今思えば年度替りで近畿電波監理局の担当係に人事異動があって引き継ぎが上手く出来ずに3ヶ月近くも掛かったのかも知れませんね。当時の免許は手書きにゴム印でした。

5月何日だったかは正確には覚えてませんが、その日のことはよく覚えています。中学から帰ったら近畿電波監理局から封筒が届いており、封筒を開けてコールサインを見るのがドキドキしました。確か青い封筒だったと記憶しています。そして免許が届いたその日に始めて「ならAI46」として電波を出したのでした。

開局当時は「ラジオの製作」による市民ラジオブーム前で、回りや中学の友人で市民ラジオをやってる者はなく、また知り合いにも市民ラジオをやってる者がいませんでしたので、「ラジオの製作」にも市民ラジオに関する記事は一切無く、中学生に他に得られる情報も無く何も分からないまま手探りで始めた市民ラジオでした。その後、少しずつ市民ラジオ局を開局する学生が増えてくるまで、しばらくは1ch・2chに出てくるニックネームの違法CB愛好家しか交信相手が居ない状態でした。

当時のSONYのフラッグシップ機はICB-700A、ナショナルはRJ-56、どちらも26.968MHzと26.276MHzを実装した2ch機で当時はまだ8ch実装が許可されていなかった時代でした。「ラジオの製作」などの雑誌にもこれらのメーカー製「合法」市民ラジオトランシーバーの広告も無く店頭で見るまでは存在すら知りませんでした。小6当時、市民ラジオトランシーバーと認識していたのは「ラジオの製作」などの巻末広告に大量に出ていた違法CB機で有名家電メーカーの「ICBやRJ」より先に「サマーキャンプ」「タイコン」「トーカイ」「オーフナ」「ミッキー」などの名を先に覚えてしまったものです。今思えば二光や光波などの胡散臭い広告など「ラジオの製作」の広告営業優先さがエゲツないですよね。その後、「ラジオの製作」は皆川氏の市民ラジオ講座連載開始に伴い広告営業方針を転換しショップさんへは手の平を返すわけですが。皆川氏が市民ラジオの趣味への道を開いたという認識もあるようですが、それ以前から市民ラジオは趣味として存在していましたよね。

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運用時は携帯義務のあった免許証票はいつも財布に入れて持ち歩いてましたのでヨレヨレです。

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