無線ブログ集
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真駒内にて。 (2018/9/25 17:57:52)
9月22日と23日は、CMで真駒内屋内競技場に居たわけですが、両日とも基本的に車両内で、自社業務無線、契約先の簡易無線と今回はDCRを運用しつつ、自社従業員の現状指揮に当たっていたわけですが、車両内という事で当然他の無線機も基本的には電源が入っている状況(笑)
普通にエンジンをかければ、アマチュアの144/430/1200MHzと特小L17-08、DCR15chは自然にワッチ状態になりますからねぇ~
そんな私が暇を持て余していた時に、何気にICB-707を屋根の上に設置しコンディションでもあがればいいな~と放置プレイを2日間していたわけで、23日の夕方頃超絶忙しい時間だったわけですが、CBから聞こえて来た子供の変調。
「おとーさん!きこえる!?きこえる!? ねーおとーさーーーん!!きこえないの!?」
まぁPTTを離してないから聞こえたとしても、お父さんからの変調はあなたには届かないだろうね、ってよくありがちなパターンの通信。そんなんはどうでも良いとして、Sメーターは見えていなかったものの耳SでS9。
「さっき言った通りさ、お話が終わったらボタン話さないと父さんの声聞こえないっていったでしょ?ちゃんと聞こえてるよ どうぞ」
とこちらもきっとS9。
「うわーーーーすげーーーー!とーさんの声聞こえてる!!!とーーさぁぁぁぁぁあん!これおもしれーーー!!」
「話が終わったらちゃんと どうぞ って言いなさいって言ったでしょ? どうぞ」
「あーそうだったごめんね なんだろすげー!おもしれー!!! どこまで遠くまで聞こえるんだろ! どうぞ」
なんて交信が8chに入感。
お?誰だ?父は誰だ!?とか思いましたけど、冷静に考えてみればアクティブなCBerが8chでやらんかな?とも思えたり。
ちょうどクソ忙しい時間帯だったので、ヴォリュームを下げてしまいましたが本当に懐かしい感じでしたわ。心がほっこりしましたね。
私もこの世界に足を踏み入れてしまったのは、父の影響というか洗脳の為。
小学生になる前には家に固定機が並んでいた状態で、「無線」というもんは家に普通にあるもので、どこぞの人と交信しているのはごくごく普通の光景でした。
免許を有していなかった小学校低学年の頃は、無線を使っちゃダメという事も理解はしておりましたが、職場で使っていたCB機を持ち帰って来た時に
「この無線機ならお前も使っていいぞ~」
と手渡されたのが、機種名も何も覚えておりませんがCB機だったんですね。
それで1Fと2Fで上記のような交信をした記憶はしっかりと残っております。またこれが楽しかったんですねぇ。
この交信が結果として小3の冬に電話級を受験させられるキッカケとなり今に至るわけでございます(笑)
実際従免を取得しても開局には至らず、父の会社の社団局に入りちょっと遊んだ程度でしたが(その当時は野球に夢中過ぎて無線どころじゃなかった上に、後日談ですが開局させたら父自身が無線運用時間が減るのが嫌だったそうな)、中学生頃になった時何故か悪友数名がうちで無線機を見て騒いでいた時に、父が気分を良くしあくまで備品であったであろう「CB機」を家に持ち帰らせ、夜でも友達と話が出来るネットワークが出来上がったわけですわ。
そこから友人たちもアマチュア無線に興味を持ち始め、後に私も個人局開設という流れになるわけですが、一気にそこら辺の思い出が蘇って来たわけですわ。
どなたかは存じませんが、本当にありがとうございました。
今では(多分当時でも)虐待と言われても過言では決してない豪腕の父の思い出ばかり思い出すのですが、そんな頃もそういえばあったなぁ~って思い出せました(笑)。
父が他界して12年。
そういえば、交信方法について後ろから怒声と鉄拳制裁による指導以外は、ロクに無線の話をした事がなかったように思います。
聞いても「てめぇで調べろ、なんでも聞くな」なんて感じでしたからね~
友人が近所のOM的に父に質問する事は、何でも教えていたんですけどね(苦笑)
結果としては、その方が自らの知識となり得る事が多く、調べる癖も付くわけですが、もうちょっと酒でも交えながら話が出来ればよかったかなぁ~って思う次第。
そんな風に娘達から思ってもらえる父になれるかなぁ~
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