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feed 「第1回しまね出雲BCLの集い」参加記(その2) (2018/11/2 9:30:00)
2018年10月27日(土)
いよいよ開会の13時が近づいてきた。会場のパルメイト出雲には参加者が続々と訪れていた。そして、集まったのは参加者だけではなかったのだった。集まったのは...


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BCLブームを巻き起こした数々のBCLラジオたちであった。これらのBCLラジオに日々憧れ、カタログを眺めながら溜め息をついた小中学生がどれだけいたことだろう。あの「直ダイメカ」RF-2200を手に入れたときの達成感は今でも鮮明に憶えているし、その時点で真の「BCL」になった、そんな気分になったものだった。ここにはBCLブームに陰りが見え始めたころに発売されたICF-6800やRJX-4800D、RF-B30も集合。まさにこの集いを飾るに相応しい面々だった。

さて、当日のスケジュールは以下のとおりであった。
13:00 入場・記念写真撮影・開会式
13:10 【講演1】BCLブーム後に始めたBCLのお話
13:40 自己紹介(2~3分/人)
14:30 【講演2】BCLブームの頃のBCLクラブ、「ラジオの製作」などのお話
15:00 【講演3】山田耕嗣先生の思い出
15:30 他地域のBCL活動事情のご紹介(東京・岡山・奈良)
16:00 これからの中国地方のBCL活動についての提案
16:30 フリートーク
17:00 退場

当初の予定よりも参加者が増え、22人が集合してスタート。
これらの内容の詳細を紹介することは控えるが、講演1ではBCLブームが去った後にBCLを始めた苦労がヒシヒシと感じられた。当時、地方では「短波」や「ラジオの製作」等の商業誌の情報に頼るほかなく、1983年7月号をもって「短波」も廃刊。そのような状況の中でBCLを続けられたのは純粋に「ラジオが好き」という気持ちがあったからだろう...と、自分の経験を重ねながら聞いた。講演2は1980年に結成されたBCLクラブの話。私もメンバーだったが、目立った活動に参加することもできず、2年ほどで自然解散となってしまったことには申し訳ない気持ちが残っている。講演3は言わずと知れた「BCLの神様」山田耕嗣先生のお話。電波新聞社の「新BCLマニュアル」や「ラジオの製作」のBCLコーナーでお世話になったが、一度もお目にかかることができなかったのは残念。


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BCLを始めた当時、どちらかと言うと「ラジオの製作」よりも「短波」だった私(ただ単純に、ラジオの製作は値段が高く、毎月買うことができなかった)は「なぜ山田耕嗣先生は『短波』に登場しないんだろう?」という疑問を持っていた。まぁ、そんな話はどうでもいいことではあるが...
ここで、この日集まったメンバーの貴重な資料を紹介しよう。


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初代「BCLマニュアル」。この本も多く出回っているものと思われるが、これが貴重であるという理由は...


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これである。山田耕嗣先生の直筆サイン入り!


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実業之日本社「BCLデータブック(1982年版)」。裏表紙が...


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日立サージラムKH-3800。このラジオ、どれだけの台数が世に出たのだろう?さらに注目は広告に杉田かおる氏。金八先生の「浅井雪乃」役と言ってピンと来る人は同世代。「3年B組金八先生」が放送されたとき、ちょうど私も中学3年生だったのだが、受験勉強もそこそこに、この「金八先生」と、そのあとに放送された「赤い嵐」は欠かさず見ていた。この「赤い嵐」の主題歌、柴田恭兵の「5マイル アヘッド」という歌はそれほどヒットしなかったが、私は好きだった。


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特に共産主義諸国の首脳が死去すると、その事実が報道される前に国営放送に変化が起きる。通常の放送を取りやめ、音楽ばかり流すとか、重大発表があるとか。これは1994年7月9日の朝日新聞号外。島根県中西部では日中の時間帯、中波でも朝鮮半島の局が良好に受信できるので、朝鮮半島の局を受信するリスナーも多いようだ。
予定にはなかったが「 島根大田で韓国大田のFM放送を聴く 」という、とても興味深い講演もあった。なお、島根大田と韓国大田は姉妹都市であるとのこと。

自己紹介は1人2~3分ということであったが、それでは収まらず、全員が話し終わるまで1時間半ほど要した。みなさんそれぞれBCLを始めたきっかけや楽しみ方、近況などを話すと3分では足らない。でも、このようなミーティングは自己紹介だけで終わっても十分参加した価値があるのではないか?と思えるほどだった。それだけ他の人がどんなことに興味があるのか?どう楽しんでいるのか?ということに私は興味があったからである。私自身の楽しみ方のスタイルとは、また別の問題である。


それでも一応、予定の17時には終了し、大半のメンバーは二次会の会場「ツバメヤ」へ。アルコールも入って一段と拍車が入ったBCL談義はさらに続くのであった。次回は来年、境港で...などという気の早い話も飛び出した。さて、どうなるか?みなさんお互いに写真の撮り合いに。

山陰の古くからのBCL仲間に会えたこと。多くのBCLと新しく知り合いになれたこと。出雲での開催に思い切って参加して本当によかった。2017年10月27日。記憶に残る1日になったと思う。
(つづく)

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