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feed 白河の関 (2013/7/15 7:33:34)

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授業に出て来て頭の隅に記憶が有ったので、とら食堂に寄った後、ルートをちょっと遠回りして、白河の関に立ち寄ってみました。




学生時代、歴史が嫌いだった私としては、松尾芭蕉と曾良がこの地を寄った位しか認識が無く、その歴史すら良くわかっていなかった。

関と言うから、代官がいて、箱根の関所みたいに考えていたのだが、遥昔、東北の蝦夷地を朝廷が平定(アイヌの民からすれば、侵略されたと言う思いだろうが) する為に防御の為に設置した、軍事的防衛最前線と言った意味合いの強い場所だったのだろう。
蝦夷地平定して行く従い、白河の関は不要となり、衰退して行ったとの事だとか。

私の頭には、イメージとしては箱根の関で、旅人が手形を出して関所の役人がチェックすると言う感じだったので、ちょっと違っていた。

色々な白河の関に関する記述を帰宅後に読み、改めて白河の関の位置付け、意味合いを理解したが、それにしても、田舎の寂れた地に有る関である。
R294やR4を使った方が遥かに楽である。

それでも、当時はこの道が軍事的に重要であり、人々はこの道を往来したのだろうが、今でも寂しい山間を抜けて走る道、さぞ、当時の旅人は心細い気持ちで有ったのだろうと推察する。

さて、本題だが、
関として有る場所は神社になっていた。
普通神社には無い土塁や空堀が有る事から、やはり、当時は、辺境の地の最前線の砦で有ったのだろう。
苔むした境内は、静かに旅人を迎えて来てくれていた。
石碑がいくつか有ったが、平安時代のものでは無く、昭和に作られたものが多くちょっと残念。

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神社は湿度が高く、色濃く、今までに無い一種独特の雰囲気の神社で有った。
丁度、神社の夏祭りの準備で、地域の若者達が集まり練習をしていた。

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一眼レフを持っていたら、綺麗なスナップが撮れるのだろうなぁ~と思いながら、白河の関を後にしました。

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バス停、何かいい感じでした。

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