無線ブログ集
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夏が大嫌いだった (2021/8/13 17:27:16)
子供の頃、夏が大嫌いでした。
なぜなら水泳の授業が嫌で嫌でしょうがなかったから。
秋は大好きでした。
水泳の授業が、あと9ヶ月以上無いからです。
24時間、365日、水泳の授業に怯える人生でした。
例えば正月だとしたら、あと6ヶ月と何日で水泳の授業が始まる・・・。
本当に苦手、というより怖かった。
水泳は授業で唯一命の危険を感じる、怖い怖い授業でした。
日本の水泳の授業は、みんなと同じことが出来なければいけない授業。
顔つけて、息継ぎ練習して、蹴伸びして、バタ足して、クロールして、速く泳いで、とあとは速度重視。
これに全然ついていけない。水泳そのものが怖いのだから。
足のつかない水なんて絶対無理。
そういう少年の気持ちは全く理解されていない。
365日怯えている気持ち。
けれど、夏休みは自転車乗って多摩市の市民プールには遊びに行ってました。
授業じゃなければそこそこ楽しめたのです。
なぜならそこに、強制が無いから。自由だから。
自主的にそれなりに遊んでいました。
水泳の授業から強制が無ければ私は平気だったのかも知れません。
夏の家族旅行、海に行くか山に行くかで私の天国か地獄かが決まるのでした。
父に、顔をズブズブと沈められ、水を吸い込んで死にそうになって逃げる。
女の子は、波打ち際でやさしいお母さんと楽しく遊ぶから、海が苦手な人は少ない。
男の子は、父にスパルタをくらって、海が嫌いになる人が多い。
( ↑ 持論)
私はこれです。
さて、今はどうしているかと言うと、自分から泳ぎに行くことはあまりないけれど、
かつてはボディボード(ごっこ)やったり、シュノーケリングやったりしてました。
かなり長い間、江の島でヨット乗っていたりもしてました。(ヨットは付き合いで始めて出ていく勇気がないから相当永くやってました)
なんだかんだで海にはよく行く大人になっていました。
ボディボードは30過ぎてから。
このまま海が、泳ぎが苦手なままではもったいない、と思い、サーフィンは怖い(サーファーも)のでビート板のおばけのボディボードをやってみることに。
浮き物に捕まっているのだから、なんとかなるだろう。
もちろん最初は足のつく波打ち際だけで遊んでましたが・・・飽き足らず、沖へと進みます。
最初は怖かったですよ。
しっかりつかまってバタ足だけしているのなら全然怖くないけれど、一旦離れてまた乗り込む、なんて恐る恐る練習したりしました。
そのうち全然平気になるのですが・・・。
伊豆の白浜では、ボードにつかまりながら競泳用のメガネをつけて沖へ出て、水中、海底を眺めたりして遊んでいました。
大きなエイが海底に沿ってビュンビュン泳ぐ姿や、シロギスが泳いでいるのが見えました。
ウェットスーツも買って秋もやってました。
次のチャレンジはシュノーケリング。
自ら水中へ挑戦してみようと思ったのです。
実はシュノーケリングは気軽に始められるけど少々危険です。排水が出来ていない時の対処法、誤って誤飲した時のパニックにならないための予習など、念入りに勉強しました。
最初のうちは手が付く深さでどれだけ長く浮いていられるか、から練習しました。
下田の外浦海岸、九十浜海岸に行きました。特に九十浜海岸は、プールよりきれい!と言ったら笑っちゃいますが、本当です。
子供の頃父に連れられて行った海は皆濁っていて、水中マスクしたって何も見えない。そんな海ばかりでした。
子供の頃からこういう白い砂、青い海に行っていたなら、違った人生だったかも知れません。
ちなみに姪の一人は生まれた歳から夏には毎年白浜に連れて行かれ、海水浴では身一つで沖に出たままずっと遊んでいる、おまえはオットセイか!というくらい水が平気です。
わたしの父親は水泳が大の得意で、最上川で親子で素潜りで魚を捕る名人だったそうで・・・
そんな父の元で育つ男の子は大変なんです。出来て当たり前、出来なきゃ出来損ないですから。
話をシュノーケリングに戻しましょう。
自力でいつまでも浮いていられることを初めて知ることになったシュノーケリングは海の世界が広がりました。
まず、自分がどのくらい頑張って泳ぐとどのくらい息が必要か、冷静に観察することが出来ました。息継ぎで顔をあげる必要が無いからです。
息が乱れてきたら動きを抑えて落ち着くのを待ちます。そうやりながらいつまでも楽でいられる運動量を探ることが出来ました。
私が水泳が苦手だった理由の一つがここで鮮明になるのです。
授業で強制される泳ぎは短距離走のように全力だから、空気が足らなくなって、結果10mやそこらで立ってしまうのでした。
このことは、当時の水泳の授業では全く教えてくれませんでした。
もっと早く、もっと速く、だけでしたから、全力で暴れてしまうのです。
しかも水が苦手な人は、息を吸う時もそうだけど、常に顔を水面に高く出すことに全力を出してしまうから、めっちゃくちゃ疲れる。
速く泳ぐことなんかより、長く浮いていられること、を教えるべきだったのだと、思います。
クレヨンしんちゃん、沖で空気をいっぱい吸ってプカプカ浮いているシーンがありました。
こういう生き延びるテクニックを教えるべきなのです。
最近やっと沖に流されたら、バンザイして脚を開いて上向きに浮いていろ、と教えるようになりましたね。
人体、伏せた状態なら苦労せずに浮いていられる、けれど呼吸をしないといけない。
シュノーケルがあれば呼吸が続けられるから、ずっと伏せて浮いていられます。
背泳ぎでじっとすると脚のほうが沈んで額だけ浮く状態になります。口は水中です。
浮力の中心は胸だから斜めになってしまうのです。
ここで重心を移動させるため、手はバンザイ、脚は開脚にすると・・・
はい、水平に浮いていられます。
ただ、顔面はギリギリ水面ですから、顔の上を水が行き来するのは我慢です。(泳げない人はこれが耐えられません)
空のペットボトル一本でもこの姿勢と組み合わせればかなり生存率が高まります。
シュノーケルで浮くための器具は必要ありません。むしろそういうものに頼ると水平を維持しないため怪我をします。
自分の浮力で水面に居たほうが怪我をしません。
そんなこんなで、シュノーケルで得たものは多く大きかった。
人間、沈みたくても浮いてしまう、という事が体験できたから。
これも自分から、恐る恐るだけどやってみたから。無理やりだったら多分こうはならなかったと思います。
無理やりはよくないですね。
というわけで、少年期の怯えて過ごした時間、返してほしいです。
それから、泳げない人、泳げるようになりたい人は、シュノーケルにチャレンジしてみてください。
人は勝手に浮くもの、だからゆったりしていればいい、必要な空気さえうまく吸えていればいい、と知ることが出来ます。
くれぐれもご安全に。
夏休みなので、たまにはこんな記事も書いてみました。