無線ブログ集
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大手動画共有サイトのYouTubeで、1950~1970年代に制作された日本のニュース番組の映像を配信している「Japan’s Nostalgic Films」が、1957(昭和32)年のアマチュア無線家の交信風景を「【昭和の日本】アマチュア無線が大ブーム!お坊さんも夢中&南極と交信する人も | 不正電波も横行 | 1957年」というタイトルで公開している。戦後、日本でアマチュア無線が再開してからわずか5年。登場する無線家はサフィックスが2文字、無線機はほとんどが自作という時代の貴重なシーンの数々が無線家の間で話題になっている。
このニュース映像は「毎日世界ニュース」が映画館での放映用(昔の映画館では本編の映画の前に、短いニュース映画を放映する時間があった)として制作したもので、原題は「盛んなアマチュア無線熱」となっている。
ニュース映像の冒頭には、1959(昭和34)年から1967(昭和42)年まで、当時の社団法人 日本アマチュア無線連盟(JARL)会長を務めたJA1FG 梶井謙一氏の自宅や、1957年に東京の西武クラブが作った「ハム女子大」(第1期は120名、第2期は300名の女性がハムの仲間入りを目指して受講)で校長を務めたJA1KC 小宮幸久氏のシャックが登場。さらにコールサイン不詳だがYL局や僧侶がアマチュア無線を楽しんでいる姿を紹介した。
続いて3エレ八木があるシャックで南極・昭和基地と交信しているのは、当時29歳のJA1MP 長谷川佐幸氏(八重洲無線の創業者)だ。交信相手の昭和基地側は第一次南極越冬隊のJA1JG 作間氏と思われる(当時は南極に開設する日本のアマチュア局に8Jプリフィックスを発給する習慣がなかった)。ちなみに長谷川氏がSSBモードに着目し、八重洲無線が初めて「A型SSBゼネレーター」を発売するのは3年後の1960(昭和35)年のことだ。
シーンが変わり、「電波監理局にはブームに乗って願書が殺到しています」というナレーションとともに、郵政省関東電波監理局(現在の総務省関東総合通信局)の担当部署に山積みされた2アマの受験申請書類(当時のアマチュア無線資格は1アマと2アマしかなかった)と、それらを整理する職員が映った。
また、当時から不法無線局の電波監視(監聴)が行われていたようで、地図を広げて電波の強さをプロットしている様子や、大きな機材を持って深夜に発信源を探し回る様子は今では考えられない貴重な映像だ。
後半ではテントを張って和気あいあいと移動運用を楽しみ、キャンプファイヤーを囲むシーンも見られた。使用しているポータブル機は自作機だろうか。まだ江角電波研究所の50Mcポータブル機は発売されていなかった時代だ。
ちなみに井上電機製作所(現在のアイコム)から50Mcのポータブル機「FDAM-1」が登場するのは1964(昭和39)年。トリオ(現在のJVCケンウッド)が「TR-1000」を発売するのは1966(昭和41)年だ。
このニュース映像では全国のアマチュア無線局数を「およそ5,000局」と説明している。日本のアマチュア無線はこの映像公開から1年後の1958(昭和33)年春に、入門用の「電話級アマチュア無線技士」「電信級アマチュア無線技士」の2資格が追加されて初の国家試験を実施。以降は飛躍的に人口が増加していくことになる。
●【昭和の日本】アマチュア無線が大ブーム!お坊さんも夢中&南極と交信する人も | 不正電波も横行 |
1957年(Japan’s Nostalgic Films YouTubeチャンネル)
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●関連リンク:
・【昭和の日本】アマチュア無線が大ブーム!お坊さんも夢中&南極と交信する人も | 不正電波も横行 |
1957年(Japan’s Nostalgic Films YouTubeチャンネル)
・アマチュア無線年表(JARL Web)
・アマチュア無線の歴史(ウィキペディア)
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