無線ブログ集
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JG6DMH・ふくおかNX47のブログ
(2026/11/4 7:05:08)
DU1GF ジョージさんとまさかのつながり?
(2026/10/27 15:35:45)
さて、わたくし、神社をお預かりしている身であります。今の神社は平成22年からですから、もう15年以上経つわけです。先日、夏祭りの準備で参道に提灯を付けていると、正面の大きな灯籠に書かれている文字が気になり、手伝いの長男に「読める?」
「…フィリピン?」そう、フィリピン群島マニラ市ですよね。
マニラ在住の、ここ久留米市東櫛原町出身の石橋長太郎さんの奉納ということです。
参道はさんで一対。裏には「大正五年一月建之」とあります。
大正5年といえば今から110年前。その頃にマニラに住み、郷里の神社にこれだけの灯籠を奉納できる人がいたんですね。
マニラ、久留米、石橋……。何か引っかかる。そうだ、DU1GFジョージ・フランシスコさんだ。
ジョージさんのことは以前、 牧野さんの思い出2 にも書きました。日本向けの10mFMレピーターDX1SAを設置してくれた方で、久留米出身ということで、私もちょくちょく声を掛けていただきました。
ジョージさんの日本名は石橋鉚太郎。アイコムの 週刊BEACON に、JA6AV井波さんとの有名なエピソードが載っています。(ついでに井波さんは、私の父と同級生だったらしい)
昭和30年の正月、当時久留米にいた井波さんがマニラのジョージさんと交信しました。久留米と聞いたジョージさんが、日本語で母・石橋千代さんの名前を口にします。井波さんが市役所で調べて千代さんを見つけ出し、終戦以来音信不通だった母子は電波で再びつながりました。昭和35年には、久留米で19年ぶりの再会を果たしています。
その記事によると、千代さんは明治末に、建築業を営むご主人とフィリピンへ渡ったそうです。
大正5年、マニラ在住、本籍は久留米市東櫛原町の石橋長太郎さん。記事にはご主人の名前は出てきません。でも、時期も土地も姓も合います。長太郎さんと鉚太郎さん、「太郎」も同じです。
ひょっとして、この灯籠はジョージさんのお父さんが奉納したものでは?
ジョージさんはその後、 フィリピンのアマチュア無線連盟(PARA)の会長も務め、生涯免許を受けた、フィリピン無線界の重鎮 だったようです。50MHzでは、 鳥取の局が1.5WのSSBで交信して感動した という話も残っています。
110年前にジョージさんのお父さんが奉納したかもしれない灯籠の前で、息子と交信したことのある私が、毎年提灯を吊るしていた。まさかのつながりです。
まだ確証はありません。石橋長太郎さん、千代さんご一家についてご存じの方、ジョージさんの思い出をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひ教えてください。
「私の出身の久留米の局、どなたですか?」
あの呼び掛けの先には、110年前にご両親が灯籠を奉納した、この参道があったのかもしれません。
