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link 無線局 とっとりU42 無線局 とっとりU42 (2019/12/16 10:35:37)

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feed 小田原で・・・ (2015/11/21 18:04:01)
2015年11月21日(土)
今日は小田原へ出かけました。
神奈川県に来て、最初に住んでいたのが小田原でした。
以前、所属していた無線クラブの混信会・・・飲み会です。


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25年前に比べたら大躍進?の小田原駅。とてもオシャレな駅に変わっています。


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小田原駅の改札口を出たのは本当に久しぶりです。
このお店でお昼前から「一番搾り」をキューっと。
実に7年ぶりの混信会。次は何時になることか・・・

feed 久しぶりに・・・ (2015/11/21 10:50:21)

2015年11月21日(土)
平塚駅よりも西側の東海道線に乗車中。

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およそ8ヶ月ぶり。
なんだかなぁ、新鮮な気がします。

feed BCLを始めたころ(その10) (2015/11/18 19:30:08)
2015年11月18日(水)
今日は短波の電波伝搬の話。
短波を聞き始めたころに戻ります。

北京放送や朝鮮中央放送は、夕方6時ごろから日本語放送を行っていました。
この2局は放送時間が長く、6時間連続の長時間放送。
日本は重要なターゲットだったのでしょうね。

夏休みの間は夜遅くまで良好に受信できました。
北京放送が7.480MHz、朝鮮中央放送が6.540MHzでした。
ところが、秋が深まって、ちょうど今頃の時期、11~12月になると、放送開始からしばらくの間は良好なのに、徐々に受信状態が悪化していることに気付きます。

「どうしてだろう?このラジオ、調子が悪くなったのかな・・・?」
なんて考えていました。


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短波による電波伝搬の季節変動を経験していたのです。
短波の放送局が時々周波数を変更するのは、このためですね。
北京放送の7.480MHz、朝鮮中央放送の6.540MHzは1年中使われていました。
もしも、北京放送や朝鮮中央放送が1時間だけの放送だったら、この季節変動に気付いていなかったかも知れません。

feed BCLを始めたころ(その9) (2015/11/17 20:00:10)
2015年11月17日(火)
雑誌「短波」の情報により「地下局」の存在を知りました。
意外にも数多く存在していたようですが、印象に残る局を3つ。

代表的なのは「希望のこだま放送」と「統一革命党の声放送」。
時間帯によっては、どちらも強力に聞こえました。
私がBCLを始めたころに聞いたこの2局に、妨害電波はかかっていませんでした。

「希望のこだま放送」は韓国から北朝鮮向けの放送。
開始音楽は軽快なテンポの曲でした。
「短波」では、当初「希望の山彦放送」と表記していました。

一方、「統一革命党の声放送」は北朝鮮から韓国向けの放送。
「ソウルからお送りしてます・・・」とアナウンスしていました。
この局は後に中部日本放送と同じ周波数(1053KHz)に出てきて激しく混信。
CBCにとっては「いい迷惑」だったことでしょう。


もうひとつ、記憶に残るのが「マラヤ革命の声放送」。
勇壮な開始音楽が印象的でした。
この局の目的は何か?今でもよくわかりません。
中国からの放送らしいのですが・・・


時代は流れ、2015年。
「統一のこだま放送」という地下局が存在しているようです。
前述の2局を1つにまとめたような局名ですね・・・

feed BCLを始めたころ(その8) (2015/11/16 17:00:16)
2015年11月16日(月)
今回はモスクワ放送と北京放送について。
雑誌「短波」を読むようになり、いろいろな情報を得るようになりました。
放送バンドの受信すると、毎日必ず聞こえてくる2局。
それがモスクワ放送と北京放送でした。
1977年。アメリカとソ連、東西超大国の冷戦が続いていた時代・・・
一方で、中国とソ連は同じ共産主義の国なのに敵対関係。

放送バンドの内外で、
「ガバリット ペキン」
「モスクーワ クワンポティエンタイ」
のIDをいい加減ウンザリするくらい聞きました。


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モスクワ放送は言語によってISの後に流れる開始音楽が異なっていました。
中国語放送のあの勇ましい開始音楽は好きでしたね(笑)。
ただし、お互いに強烈な妨害電波の掛け合い。

考えてみれば、海外放送の主目的は自国の主義主張を伝えること。
敵対関係にある国の放送を自国民に聞かせたくないのは当然のこと。
まさに「電波戦争」でしたね。

モスクワ放送と北京放送。
その後はロシアの声、中国国際放送と局名を変え、日本語放送を続けていましたが、ロシアの声は日本語放送廃止とのこと。寂しいですね。

feed BCLを始めたころ(その7) (2015/11/15 11:00:17)
2015年11月15日(日)
宇都宮は雨模様の日曜日になりましたが、今は止んでいるようです。
今日、七五三のお宮参りという方も多いんじゃないかな?
連休明けの4日から昨日まで、ずっと出勤していましたが、今日は久しぶりの休日。
8時半起床。のんびり過ごしています。

シリーズ「BCLを始めたころ」第7回のテーマは「雑誌『短波』」。
中学の同級生から、BCLの専門誌が発行されていることを聞かされます。
それが「短波」でした。


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私が初めて「短波」を手にしたのは1977年5月号。
読者の投稿レポート、日本語放送番組表など、情報満載。
その号は製本がホッチキス止めによるものでした。
まだ実家に眠っているはず…なのですが、まだ発見できていません。

「短波」は1983年7月号で廃刊になるまで買いました。
投稿レポートが採用され、掲載誌が送られてきたことがあります。
写真は今年8月、実家の本棚にあった数冊です。
白地の表紙は廃刊間際の1983年ごろ発行。
ページ数も全盛期より少なくなっています。


まだ「ラジオの製作」も「初歩のラジオ」も、もちろん「CQ」も知らない頃。
雑誌と言えばマンガ本くらいしか買ったことのなかった私。
中学生になって、ちょっと大人になった気分になりました(笑)。

feed タヌキワッチ (2015/11/13 23:55:18)
2015年11月13日(金)
知り合いの局同士の交信を傍受することを「タヌキワッチ」と呼ぶようです。
条件は、傍受している交信をしている2局とも、親しい局の場合。
片方の局が知らない局の場合は「タヌキワッチ」ではなく、単なる交信の傍受。
私はそう思うのですが、いかがでしょうか?
これをなぜ「タヌキワッチ」と呼ぶか?私は知りません。
ということで、本日の1曲・・・



Always hungry, very hungry・・・
「タヌキワッチ」なんかしないで「みんな出てコイコイコイ」?

feed BCLを始めたころ(その6) (2015/11/12 1:35:42)
2015年11月12日(木)
シリーズ「BCLを始めたころ」第6回のテーマは「受信報告」。
 
1977年春、小学校を卒業し、中学校入学。
小学校の同級生は約90名。
私が進んだ中学校は、県内でも有数のマンモス校。
当時、市内にあった6つの小学校のうち、4校の児童が1つの中学校へ進学。
同級生は一気に300人を超えました。

中学で最初に同じクラスとなった仲間にもBCLは複数いました。
しかも、私よりもはるかにBCLに関する知識が豊富な連中ばかり。
中にはFRG-7、R-300などの「通信型受信機」を使っている者も。
彼等に刺激され、BCLにハマっていった・・・と言っても過言ではありません。

まず、私は中学に入るまで放送局に「受信報告書」を送ったことがありませんでした。
それまではベリカードにも、それほど関心がありませんでした。
そんな状況で、知り合ったばかりの友達に教えを乞い、受信報告を作成。
初めて書いた受信報告は1977年4月7日に受信したラジオ韓国。

イメージ 1 (初受信報告のベリカードはアナウンサーが写っていないKBS庁舎だけのデザイン。後日差し替えます。)

ただし、ラジオ韓国のベリカードを手に入れたのは6月に入ってから。
後日、受信報告を送った北京放送のほうから先に返信がありました。
北京からは1週間ほどで返信があったのに対し、ソウルからは2ヶ月以上。
当時、ラジオ韓国は船便での返信だったために時間が掛かったようです。

それからは受信報告を送っては、郵便配達のおじさんを待つ日々が始まりました。

feed BCLを始めたころ(その5) (2015/11/10 3:00:38)
2015年11月10日(火)
シリーズ「BCLを始めたころ」第5回のテーマは「時報」。
短波では中国や朝鮮半島からの放送が良好に受信できました。
訳のわからない言葉でしたが、異国情緒が感じられ、聞き流していました。
放送を聞いていると、あることに気がつきます。

・中国の放送の時報は2秒置きの信号が6回流れ、6回目が1オクターブ上がる
・朝鮮の放送の時報は1秒置きの信号が4回流れ、4回目が1オクターブよりも1音低い音に上がる

中国の放送は「中央人民広播電台」。当時はいろいろな周波数で聞こえました。
朝鮮の放送は「平壌放送」。6250KHzがよく聞こえていました。

当時はこれらの放送が中央人民広播電台、平壌放送であることを知りませんでした。
特に平壌放送の「1オクターブよりも1音低い音」に違和感を感じていました。
(しかし、数年後には平壌放送も1オクターブに変更になったようでした)

ちなみに、
・山陰放送の時報は1秒置きの信号が3回流れ、3回目が1オクターブ上がる
・ニッポン放送の時報は1秒置きの信号が4回流れ、4回目が1オクターブ上がるが、前3回の信号が高低2音で構成されており、4回目は前3回に出力される信号の最初の1音の1オクターブ上の音が出力される・・・
(説明しにくいけど、鳩時計のように聞こえるアレです・・・笑)
時報って放送局でいろいろなパターンがあるんだなぁ、と思ったものでした。

時報で忘れてはならないのがJJY。
ラジカセでは5MHz、8MHz、10MHzが良好に聞こえました。
モールス信号に続いて、女声アナウンスの「JJY JJY・・・」。
当時は毎時0分と30分にアナウンスがあったと思います。
この放送は時計を合わせるためにあるのかな?と子供心に思ったものでした。

feed BCLを始めたころ(その4) (2015/11/9 0:01:40)
2015年11月9日(月)
北京放送を聞いて始まったBCLの第一歩。
その後、他にも日本語が聞こえないか、グルグルとダイヤルを回して探しました。
聞こえたのが、モスクワ放送、ラジオ韓国、朝鮮中央放送・・・
何れも偶然に受信したものです。

当時すでにBCLは流行していたようですが、それを知るのは1977年に入ったころ。
どうも周りの同級生たちも、短波を聞いているようでした。

そして、BCLラジオの存在を知ります。
スカイセンサー、トライエックス、クーガー・・・
ソニー、東芝、松下の「御三家」はBCLラジオのテレビCMをしていました。
スカイセンサー、トライエックスはラジオCMも記憶があります。
しかし、小学生にとっては高嶺の花でした。
カタログを集め、毎日眺めていました。


イメージ 1

そのカタログの裏面、特に松下のカタログには、日本語放送の番組表が付いていて、それを頼りに、ラジオ・オーストラリア、KGEI、FEBC、BBC、バチカン放送などを受信しました。

1977年3月に小学校卒業を迎えますが、小学校の卒業文集に「将来の夢」などを書く欄があり、「有名なDXerになる」と書いた同級生が複数いました(笑)。
ちなみに、私は「DXerになる」とは書きませんでした。

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