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ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
室生犀星「小景異情ーその二」より
石川県金沢市出身の詩人、室生犀星の詩です。
高専3年生のときに国語の先生に暗唱させられました(笑)。
他に4編ほどの詩の暗唱が納期に間に合わず、この先生に厳しい指導を受けました。
このときは「何でこのような詩を暗唱しなければならないのか?」という矛盾の気持ちでいっぱいでした。何分にも工業の学校ですから。
しかし、今になって、作者である室生犀星がこの詩をどんな気持ちで読んだのか・・・などと考えたりする中、面白いと言ったら少し変ですけど、この作品の素晴らしいところがわかるようになった気がしています。
先生にも教えていただいたとは思うのですがね。
この詩の状況とは若干違いますけど、今の私は同じような気持ちなのです。

各局、こんばんは。
書庫はBCLです。
先日の四国旅行では、現地で香川の西日本放送や徳島の四国放送を聞きました。
RNCでは朝の情報番組で早明浦ダムの貯水率を伝えていました。
さすが瀬戸内地方だなぁ・・・という感じ。
徳島で聞いたJRT四国放送。
「波のりラジオ」という番組を放送していました。
でも、何故か「RNCのスタジオから・・・」とのこと。
どうも高知放送も含めて3局ネットで放送しているようです。
愛媛の南海放送はどうしたのかな?
その放送を聞いて受信報告。いただいたべリカードです。
四国放送は少し前まで「阿波踊り」の図案のカードを発行していました。
それがほしかったのですけどね。
でも、新しいデザインもそれなりに味があるというか・・・?
今年2枚目のカード獲得であります!

第98回全国高等学校野球選手権大会。
21日に決勝戦が行われ、栃木代表の作新学院が優勝。
作新学院は栃木県大会から見ていました。
いいところまでいきそうだ・・・と思っていましたが、結果は優勝。
おめでとうございます。
鳥取代表は境。
私の実家の最寄りの高校。帰省の最中、境高校の前を何度も通りかかりました。
同級生の大半が進学。
私も願書を提出していましたが、先に合格した高専への進学を決断。
34年前の第64回大会で境が出場。
小学校・中学校の同級生3名が甲子園の土を踏みました。
境が甲子園に行くたびに「母校だったらなぁ~」と思ったりします。
私には関係ないのですが、それでも地元の学校。
甲子園出場はちょっとうれしいですね。
今回の境の甲子園。中盤までは互角の戦いも、明徳義塾に初戦敗退。
私は途中までテレビとラジオで観戦しました。
土曜日の試合とあって、大阪在住の私の弟は甲子園で観戦したそうです。
境の監督が素晴らしい人だと称賛していました。
リンクはそのうち消滅すると思われますので、その根拠となるニュースを抜粋しておきました。時間があればご一読ください。
境・高橋、シートノックでグラブスイッチを披露「見ている人に勇気を」
◆第98回全国高校野球選手権第7日 ▽2回戦 明徳義塾7―2境(13日・甲子園)
脊髄炎のため右肘を動かせない境(鳥取)の高橋峻也外野手(3年)は出場機会なく敗れたが、シートノックでグラブスイッチを披露。左手のグラブで捕球後、グラブを右手に持ち替え左手で送球した。
3歳で病気が判明。元々は右利きだったが、小学3年から左投げ左打ちで野球を始め、隻腕の元大リーガー、ジム・アボットを参考にした。右手の握力は約10キロでバットも支えるだけ。ほぼ左手一本で振り、昨春の鳥取県大会で3試合4安打。「見ている人に勇気を与えられたら」と前を向いた。
境・永田、右肩脱臼から復帰…支えてくれた人へ“感謝の土”を
「全国高校野球・2回戦、明徳義塾7-2境」(13日、甲子園球場)
本当はユニホームを真っ黒に汚したかった。3点を追う八回。代打で打席に立った境(鳥取)・永田竜海内野手(3年)は三ゴロに倒れた。内野ゴロで一塁にヘッドスライディングする球児が大半の中、そうはしなかった。「最高でした」と振り返る聖地でのプレーで、唯一の“不自由”。そこには理由があった。
最初の“悲劇”は入学2週間後。けん制で帰塁した際に右肩を脱臼した。その年の9月には体育の授業でのバレーボール中、スパイクを放った際に再脱臼。12月に手術を受けた。練習補助員として仲間のサポートを続け、再びボールを投げられるようになったのは今年4月だった。
復帰までの間「何度も野球を辞めようと思った」と振り返る。それでも仲間は「待ってるからな」と声をかけ続けてくれた。永田の心境を察した坂口健一監督(46)は本人に内緒で、両親に「絶対に辞めさせないで下さい」と懇願していた。周囲の思いが、折れかけた心をつなぎ止めた。
肩への影響からヘッドスライディングができない中での出場だったが、試合後の永田の腕は真っ黒に汚れていた。今までの感謝を込め、たっぷりとすくった聖地の土。「じいちゃん、ばあちゃん、両親、アルプスの仲間…。色んな人にあげたい」。涙が乾いたその表情には、達成感も宿っていた。

今回の鳥取帰省&四国旅行。
出発から帰宅まで、走行距離は1822kmでした。
道中にデジタル簡易無線を運用しました。
括弧内は当方の運用地です。
8月14日
・ミエ局?(コールサイン失念、東名阪道)
・ミエJA925?(亀山JCT付近)
8月15日
・かごしまGL90(新名神道甲南PA付近)
・キョウトGT260?(名神道京都東IC付近)
・オオサカFW190(名神道大山崎付近)
・トットリMC430(米子道米子IC付近)
8月18日
・とっとりAJ683(国道431号)
・くらしきFV223(瀬戸中央道粒江PA付近)
・かがわMC36(坂出市)
8月20日
・オオサカTK27(神戸淡路鳴門道淡路PA)
・オオサカSC025(神戸淡路鳴門道淡路PA)
・テンリMH784(神戸淡路鳴門道明石海峡大橋)
・ねやがわCZ18(名神道)
・おおさかちどり(名神道)
8月21日
・ギフKZ501(名神道)
・ギフAE36(東名道一宮JCT付近)
・ギフAB134(東名道)
・アイチKY909(新東名道岡崎SA)
運転中のため、ログを記載できず記憶によるものです。
間違い、抜け漏れがあるかもしれません。ご容赦ください。
お相手いただきました各局、ありがとうございました。

今回の四国旅行で「やり残したこと」と言えば「徳島ラーメン」を食べること。
ここを訪れるはずだったのですが、タイミング合わず断念。
代わりに、おみやげのラーメンを買ってきて作って食べましたが・・・
豚骨しょうゆと言っても、いわゆる「家系」とは全く別物との印象。
やはりお店のラーメンを味わいたかった、という結論に全会一致。
次回はいつになるかわかりませんが、機会があれば必ず。

今回の帰省&四国旅行で確保。
47分の10。このうちWKD(実際に飲んだもの)は5。
西のほうはこれから飲んでみます。
WAJAには程遠く・・・(笑)

2016年8月20日(土)
鳴門の渦潮を見て、大鳴門橋を渡って淡路島へ。
瀬戸内海と大阪湾、紀伊水道を分ける島。
初めて上陸しました。
淡路SA。広くてきれいなSAでした。
淡路SAから見た明石海峡大橋。対岸は本州。
展望台からは須磨や六甲の山並が見えました。
いよいよ明石海峡大橋を渡って本州へ。
神戸淡路鳴門道→山陽道→中国道→名神道を経由して、彦根まで。
無事、ほぼ予定の時刻に到着しました。
2016年8月21日(日)
彦根の宿。
ゆっくり休んで、平塚の自宅まで、のんびり走りました。
彦根の宿から。東海道線の線路が見えます。
JR彦根駅。
桐生選手は彦根市出身だそうです。
銀メダル、おめでとうございます!!
帰りも新東名道。岡崎SA。その他、各地で寄り道しながら走りました。
平塚到着は18時。長い1週間の旅が終わりました。

2016年8月20日(土)
徳島から鳴門へ向かいます。
鳴門は大塚グループの街。
倉庫?と思われる建物にボンカレー、オロナミンC、ポカリスエット等。
大鳴門橋に近づいてきました。
橋の下に浮かんでいるには観潮船のようです。
観潮船乗り場に到着!
そしてついに観潮船に乗り込みます。1800円。
鳴門の渦潮。
春と秋の大潮の時間帯がいいそうです。
今回は大潮の時刻には1時間ほど早かったですが、それでも十分満足しました。

2016年8月20日(土)
徳島市の朝。
31年前に暮らしていた場所を訪ねてみました。
中華飯店「嘉楽」。
よく食べに行きました。たまには出前を頼んだり。
ヘアーサロン・ビーバー。
行きつけの散髪屋さんでした。中吉野町バス停すぐ近く。
鳴門教育大学付属中学校。
当時は徳島大学付属中学校でした。
このすぐ近くに私が住んでいた寮があったのですが、住宅に変わっていました。
吉野川に架かる吉野川橋。
毎日、この橋をバスで渡って通勤したのでした。
吉野川北側から望む眉山。
徳島勤務の最初の休日、会社の先輩に連れられて登りました。
そして一升瓶で酒盛り。それまで日本酒を飲んだことがありませんでした。
ベロンベロンになったことを思い出します。
これらの場所を写真撮影しながら、当時の思い出に浸ったのでした。

2016年8月19日(金)
徳島の宿に到着して、近くのコンビニに立ち寄りました。
リオデジャネイロオリンピック、バドミントン競技女子ダブルス。
日本の高橋・松友組が金メダル獲得!
松友さんは徳島県藍住町のご出身だそうで、徳島新聞の号外が配られていました。
徳島新聞。1年間在住していたころは毎日読んでいました。
ちなみに、徳島新聞社とJOJR四国放送の社屋は同じ場所にあります。
国道11号線沿いの社屋の前を通りましたが、写真撮影はできず。
徳島新聞のロゴの周りに「渦潮」が・・・
中学生のころ、37年前の1979年に受領した四国放送のべリカードです。
翌日は、その「渦潮」を見に行くのでした。
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