無線ブログ集
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ナンリ食堂でお昼ご飯を食べたあと、向かった先は・・・
鶴岡八幡宮でした。
この日は浴衣姿のYLさんが目立ちました。
何かイベントがあったのかも?
蓮の花ももうすぐ咲く時期を迎えます。
何時か鶴岡八幡宮の参道をゆっくり歩いてみたいと思います。

昨日の第1回 6mノスタルジックミーティング。
日差しはほとんどなく安心していましたが、帰ってみると顔が真っ赤。
この時期、紫外線対策を忘れてはいけません。気をつけましょう。
さて、このところ無線関係以外では食材をブログ題材として取り上げています。
まるで「井の頭吾郎」みたいですが、これからもお付き合いください。
今日はまたもや鎌倉へ向かいました。
その途中、お昼ご飯を食べに立ち寄ったのが「ナンリ食堂」。
鎌倉市手広にある「ナンリ食堂」。
お店から少し離れたところに駐車場4台分あります。
座席は12くらい。カウンターとテーブル。
定食がすべて700円。私は「お刺身定食」をオーダー。
お刺身なら毎日でもOK(笑)。
このボリュームで700円!しかも・・・
ご飯、お味噌汁はお代わり自由!(ご飯は3杯までだそうです)
私は1杯で十分で、お代わりはしませんでした。
ちなみに、ご飯は白米、五穀米、麦ご飯の3種類から選べました。
私は五穀米を選びました。
XYLがオーダーしたのは「まぐろのガーリックフライ定食」。
こちらもすごいボリュームでした。これで700円は安い。
その他の定食も試してみたいと思いました。
年配のおばさん3人のおもてなしに感謝。行ってよかったと思えるお店です。
最寄駅は湘南モノレールの湘南深沢駅ですが、普段乗ることはなさそう。
車で行くことになりますが、また鎌倉方面に行くときは寄りたいお店です。
みなさんも近くに行く機会があれば寄ってみてください。

本日、「第1回 6mノスタルジックミーティング」を開催しました。
天気は曇り。大山は霞んでいます。でも、雨の心配はなさそう。
この時期にして、ちょうどいいWXだったと思います。
JQ1BYMさんの3エレデルタループ。本日の主力アンテナ。サイドの切れ抜群。
往年の名機、RJX-610とIC-502A。
QRHはあるものの、まだまだ十分実用に耐えます。
6mでは関東周辺の移動局の他、沖縄、台湾も聞こえていました。
ミズホのピコ6Zとピコ6S。パネルの違いに注目。
ピコ6SでCWを・・・と思っていましたが、BK-IN&サイドトーンの電源がDWN。
申し訳ございませんでした。006-P電池の予備を用意しておくべきでした。
それにしてもIC-502A、とてもきれいなコンディションです。
私を含めて10局集合。全員で簡単に自己紹介。
無線談議に花が咲き、運用の時間がほとんどなかったのが今回の反省点。
それにCQ誌用に集合写真を・・・と思っていましたけど、撮るのを忘れました。
そのうち第2回の開催も考えたいと思います。
ありがとうございました。また湘南平でお会いしましょう!

第12回「電信の1st-QSO」
1986年6月、電信級アマチュア無線技士の免許を手にしました。
無線局の変更申請をして1.9MHzとA1モードを追加。
一歩前進した気分でした。
が、しかし。
変更申請は降りたものの、A1で電波を出すことができませんでした。
電信の「つらく厳しい第一歩」は、まだこれからだったのです。
アルファベット26文字と数字10文字、本文記号と送信終了記号、カンマ、クエスチョンマーク、ピリオドなどを覚えること自体、そう難しいとは感じませんでした。
電信級の受信の試験も、毎分45字の速度で練習していたので問題ありませんでした。
しかし、電信の1st-QSOは簡単ではありませんでした。
実際のQSOがどのようにされているのかわからなかったのもありますが、電信で電波を出す勇気がなかったのです。
そこで、まず7MHzで比較的速度の遅い局の交信を受信。
どのような交信がされているか、筆記しながら受信しました。
速度の遅い交信は、ほとんどがいわゆる「ラバースタンプQSO」でした。
そして、ラバースタンプQSOの送信例文を作成して、見ながら打つ作戦。
これで1st-QSOに臨んだのは翌年1987年1月。
お相手はJA1***/2、静岡県庵原郡。
電信級の免許を得てから半年以上経過していました。
実はこのQSO、横に私のCWの師匠がいて監督をしてもらっていました。
海上保安庁の無線通信士、JK3***、Yさんでした。
Yさんは私より3つ年上で、兄貴のような存在。
こと細かい指導があったのは言うまでもありません。
この交信を機に、ようやく「電信の第一歩」を踏み出したような気がしました。

各局、こんばんは。
いよいよ「第1回 6mノスタルジックミーティング」を今週末に開催します。
開催日時は 5月28日(土) 9:00~ です。
湘南平で6mの無線機を持ち寄って、昔話で盛り上がりましょう。
もちろん運用も。Es-QSOも出来るかも?
週間天気予報によれば、当日は晴れ時々曇、最高気温25℃、降水確率30%。
前日は雨の予報。油断は出来ませんが、開催できそうな気配。
各局、よろしくお願いします。
では、湘南平でお会いしましょう。

第11回「電信級アマチュア無線技士試験」
1986年1月ごろから始めたCWの練習。目標は5月の受験。
1985年の改正で、電話級アマチュア無線技士が電信級アマチュア無線技士の試験を受験する場合、電気通信術(毎分25字の欧文、1分間)の科目のみとなり、しかも受信のみで送信の試験はなくなり、ハードルが低くなりました。
その年の4月には倉敷に戻ることが決まっていましたので、広島で受験申請。
1986年5月9日。縁起のよさそうな日。
入社して初めて「有給休暇」を使って、いざ広島へ。
会場は原爆ドーム近くの「広島市商工会議所」でした。
大勢の受験者が来ていました。
その中に海上自衛隊の自衛官がいて、少し話をしたことを憶えています。
セーラー服に坊主頭、インパクト強かったです。
1分間の試験、アッという間に終わりました。
「・・・SUBJECT」という英文でした。
「・・・」の部分は忘れてしまいました。
行きは新幹線を使いましたが、帰りは時間があったので普通列車。
2時間半ほど、山陽本線の旅を楽しみました。
当時の無線従事者国家試験センターから届いた合格通知。
住所からして江間忠ビル、現在の日本無線協会。
「徳島県トクヤマシ」となっているのはご愛敬。
郵便局に転居届を出していたので無事届きました。
6月にはラミネート型の電信級免許証を手にしました。

今日、XYLと娘と一緒に平塚漁港の近くにある食堂へ行ってきました。
以前から気になっていたお店。その名も「平塚漁港の食堂」。
今回、初めて行きました。
茅ヶ崎方面から国道134号線で湘南大橋を渡ると見える看板。
左折して突き当りを左側には駐車場、右側にはお店があります。
13時を少し回っていましたので、ちょっとだけ待って座席にご案内。
でも次々とお客さんは来ていました。タイミングがよかったかな?
XYLはお刺身弁当、娘は海鮮丼。
私はおまかせ刺盛膳。やはり新鮮な魚は美味しいです。
XYLが食べたお刺身弁当が焼き物もついていてお得感がありそう。
次回はそれをチョイスしようと思いました。

第10回「電信の練習」
四国で過ごした1年は想い出がたくさん残りました。
まずは宇高連絡船。
お盆、正月の帰省や出張などで6往復くらいしました。
所要時間は1時間ほど、瀬戸内海に点在する島を眺めながらの船旅の船旅。
潮風に当たりながら「さぬきうどん」を食べます。
記憶が定かではありませんが、「阿波丸」、「伊予丸」とか、四国4県の旧国名の船名がついていたような。当時はまだ日本国有鉄道の運航。当然のことながらJNRのマークがありました。
下りの高松駅は問題ないのですが、上りの宇野駅は競走です。
何せ、ほぼ全員の乗客が次の宇野線岡山行きに乗るわけですから。
青春18きっぷの「大垣ダッシュ」みたいなものです(笑)。
宇野線は座れたことはありません。立ちっ放しの記憶だけが残っています。
その年、四国と淡路島を結ぶ大鳴門橋が開通。
「鳴門ピア(なるとぴあ)」という博覧会が開催され、行きました。
JA5RLが公開運用されており、電波を出してみるか・・・と意気込んで行くも、無線従事者免許証を不携帯。運用断念。この経験から、今はほぼ常時携帯しています。
夏、日和佐の海水浴場でBBQ。
日中、海で遊びすぎて猛烈な日焼け。肌は熱いのに寒気がします。
このときばかりはヤバイと思いました。
8月12日、阿波踊りに参加。
道路の両脇に観客席がある演舞場を堂々と踊りながら行進。
鳴り物と笛の「よしこの」(阿波踊りのテーマ曲)を聞くと、当時を思い出します。
阿波踊りを踊って寮に帰り、日航機墜落のニュースを知りました。
翌年1月、室戸岬経由で高知へ旅行。
南国市の西島園芸でメロンと西瓜を食べました。美味しかったですね。
高知城、桂浜、朝市などを見ました。
何時だったか忘れましたが、金刀比羅宮にお参りしました。
1368段の階段を登ってお参り。
その後に食べた「たらいうどん」の味が忘れられません。
少し話は脱線しますが、今年、久しぶりに四国へ行きたいと思っています。
問題は夏休みが取れるかどうか・・・です。
さて、本題。
6mSSBの運用は楽しかったですが、CWを運用したいと思うようになりました。
境港のJE4***Iさん、松江のJA4***Mさんのお話や姿を見て、何時かは2アマ・・・という思いが強まり、まず電信級へのチャレンジを決めました。
CWの練習を始めたのは、1986年1月ごろからだったと思います。
CQ出版の「モールスマスター法」というカセットテープで練習。
最初に覚えた符号は「Z」。
「Z」と数字の「2」を混ぜて送信し、書き取るというものです。
こんな感じで電信の「つらく厳しい第一歩」が始まりました。
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