無線ブログ集
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無線局 とっとりU42 (2019/12/16 10:35:37)
現在データベースには 956 件のデータが登録されています。
U42のハムライフ・その9
(2016/5/19 0:49:21)
第9回「四国での1年」
1985年3月。5年間の高専生活を終える日がやってきました。
卒業式のあとの謝恩会。同級生や先生と一晩中、米子の夜の街へ。
一緒に電話級アマチュア無線技士の試験を受けに行った同級生H君と、3年生のときに担任だったC先生のお家にお邪魔し、泊めてもらいました。
出発の日、1985年4月1日は確か日曜日だったと思います。
住み慣れた境港を離れるのは辛かったです。
とは言え、自立して1人で生きていかなければなりません。
しばらくは無線ともお別れかぁ・・・と思うと寂しかったですね(笑)。
山陰から山陽へ・・・4月でしたが、中国山地には雪が降っていました。
翌2日、社会人の第一歩を踏み出しました。
その第一歩を踏み出した地は倉敷でしたが、その3日後、四国・徳島へ。
徳島で1年間、修行をすることになりました。
奇しくも前述のH君は徳島大学工学部へ編入学。
私が住んでいた徳島市中吉野町から程近いところにH君は下宿していました。
なので何度か遊びに行きました。
H君の下宿は4畳半あるかないかの狭い部屋だったことを憶えています。
さて、徳島での生活。
無線は出来ないだろうなぁ・・・と思いつつも、荷物に入れたFT-690。
予想に反して、FT-690が活躍しました(笑)。
寮の管理人にお願いして、屋上に2エレのHB9CVを上げました。
アンテナはタニグチ・エンジニアリング・トレーダース(TET)製です。
ブースターのFL-6010を導入し、10W局となりました。
ポータブル機10W+2エレHB9CV、当時は6m初心者の標準スタイルでしたね。
ローテータはありませんので、大阪方向の固定ビーム。
紀伊水道を挟んで3エリア対岸の和歌山、大阪の局とは良好に交信ができました。
相手の設備にも助けられましたが、広島ロールコールにもチェックインできました。
Esが開くと7,8エリアを中心にたくさんの局と交信ができました。
約1年間、数百局とQSO。
50MHzを最もアクティブに運用した年になりました。
逆に言えば、それ以降、50MHzをそれほど運用していないという状況。
DXやスキャッターなど、まだ経験していないこともたくさんあります。
何分にも、2エレHB9CV以上のアンテナを使ったことがありません。
何時の日か、6エレ八木以上のアンテナを使って、やってみたいですね。
U42のハムライフ・その8
(2016/5/17 11:49:41)
第8回「ローカル局とのアイボール」
7MHzで毎日のように交信するのは楽しいことでした。
ただ、周りに親しいローカル局がいない状況で開局したため、OMに指導を仰ぐことなく、CQ ham
radioやラジオの製作など、無線雑誌のみが頼り。完全に自己流でした。
なので、同じ境港市内の局と交信したときは積極的にアイボールを申し込みました。
どなたも快く受けていただきました。
私が電話級時代にアイボールしていただいた方々をご紹介します。
・JA4ARM 高梨OM
プロ通信士の資格をお持ちで、最初にアイボールしていただいた方。
シャックにはTS-520、FT-620、SR-600などが並び、こんなシャックを構えたいなぁ・・・と憧れました。
・JE4*** Sさん
6mで交信して意気投合。お昼過ぎからご自宅にお邪魔し、晩ご飯までご馳走していただきました。ご迷惑をお掛けしてしまいました。
・JE4*** Iさん
航空自衛隊の管制官。21MHzの2エレクワッドを自作され、DXを志向されていました。「DXにCWは必須」と諭され、電信級を目指すきっかけとなりました。
・JA4*** Mさん
松江市にお住まいの2アマ。ご自宅に6mの8エレ八木を上げておられ、IC-551DでJCC、JCGを追いかけておられました。例の電器屋の息子K君と一緒に松江のご自宅にお邪魔しました。Mさんのシャックを拝見し、何時かは私も2アマを取って50Wで運用するぞ!と思ったものでした。
・JK3*** Yさん
海上保安庁の無線通信士。3つ年上のOMは、いい兄貴分。私のCWの師匠。いろいろと刺激を受けました。後年、お互いの結婚式に出席。
こんな感じで、学校や職域に限らない、幅広いコミュニケーションが可能になるのは、無線という趣味のいいところだと常に思っています。少し脱線しますが、これから先も無線を通じて多くの方と交流ができると嬉しいです。
横濱ハーバー
(2016/5/16 23:49:27)
横浜のお土産にはやっぱり「横濱ハーバー」。
今日の午後、アフタヌーン・ティータイム。
コーヒーを飲みながらいただきました。
パッケージが「世界一難しい恋」バージョン。
中身はダブルマロン。
閑話休題。テレビドラマについて。
普段はそれほどテレビを見ない私ですが・・・
「世界一難しい恋」は嵐の大野智さん主演、現在放送中のドラマ。
ですが、私は1回も見たことがありません。
仕事の関係で水曜日は見るチャンスがありません。
一方、TBSの「日曜劇場『99.9―刑事専門弁護士―』」にはまっています。
こちらは嵐の松本潤さん主演。現在、唯一見ているドラマかな?
駄洒落でいろいろと考えさせられる・・・とでも言いましょうか。
面白いですね。
あと、1回だけ見た伊藤英明さん木村佳乃さん主演の「僕のヤバイ妻」。
見たのは第2回目の放送だったか・・・
あれからどうなったのかが少し気になっています。
ヤバイですね、あのドラマは(笑)。
キリン一番搾り
(2016/5/16 16:20:12)
長い時間をかけて育まれてきた、
その地域だけの風土や気質、食文化。
そんな地元ならではの魅力が詰まった、
特別の一番搾りを、
地元の人たちと一緒につくろう。
47都道府県の一番搾り。
もうすでに始まっています。
「横浜づくり」は過去にも飲んだことがあります。もうすでに発売中。
アルコール分6%で、普通の一番搾りよりちょっと高め。
カラーは横浜らしいマリンブルーです。
「鳥取づくり」は6月7日発売。
イメージカラー黄緑は「二十世紀梨」の色。
説明にある「じげ」とは「地元の」という意味でいいかな?
「だらず話」って、何だかわかりますか?
お隣、島根県の「島根づくり」も6月7日発売。
イメージカラーのオレンジは宍道湖に沈む夕日か?
説明にある「まい」は「美味い」という意味で。
47種類飲むのは大変かも。
でも、鳥取と島根は飲み比べてみたいなぁ・・・
境港の実家からは、写真にある鳥取砂丘より宍道湖のほうが断然近いです。
キャンペーンが終了するまでに「WAJA」が完成できるか?
U42のハムライフ・その7
(2016/5/15 19:50:35)
第7回「50MHz開局」
開局第一声からしばらくの間は7MHzで運用。
休日は朝から晩まで無線機の前に座りっぱなし。
賑やかな7MHzは時間を追うごとに聞こえるエリアが変化することがわかります。
10W+GPの貧弱な設備で、呼びまわり専門。
それでも境港が珍しいのか、ピックアップしていただきました。
楽しい7MHz。でも、気になる存在がありました。
それは・・・
八重洲の6mポータブル機「FT-690」。
TS-830Vを買ったばかり。もうTS-660を買う余裕はありません。
FT-690なら、頑張れば短期間で手に入るかも?
オールモードのポータブル機。FL-6010を追加すれば10W運用も可能。
次のターゲットはFT-690となりました。
1984年の春休み。
庭木の剪定作業補助や電電公社の資材運搬等のアルバイトで資金調達。
ようやくFT-690の購入にこぎつけました。
無線局免許の変更申請を行い、50MHz追加。
アンテナはまだ買うことができず、ロッドアンテナでの運用。
季節は夏へ。電源を入れると北海道の局が聞こえてきます。
ダメ元でコールした50MHzの1st-QSOは、EsでJA8***局。
1984年5月号のCQ誌で6mアクティブ局として紹介されていた方でした。
ロッドアンテナに2.5Wでしたので、いただいたRSレポートは43(汗)。
その後、第1回でお話しした電器屋のK君、秀才のO君と6mで再会。
彼らは私のアマチュア開局を喜んでくれました。
BCLとBCR
(2016/5/14 23:00:23)
BCLの話題ではありません。
私がBCLを始めたころ(?何か聞き覚えのあるタイトル)、BCRも流行っていました。
BCR=Bay City Rollers(ベイシティーローラーズ)です。
月刊「短波」の画廊投稿欄に「違いのわかる男のBCL、違いのわからない女のBCR」
などという趣旨の絵が掲載されていたような?
これほど日本では人気が高かったのでしょう。
とは言え、私が知っているのは1曲のみです。
「サタデー・ナイト」
この曲は流行当時、何度となく聞き覚えがあります。
BCRの代表曲ではないかと思います。
洋楽にそれほど詳しくありませんが、BCLを始めた1976年ごろから印象に残っているものをご紹介すると・・・
まずはダニエル・ブーンの「Beautiful Sunday」。
日本では田中星児さんがカバーして大ヒットしました。
TBSテレビ「おはよう720」で歌われていたように憶えています。
田中さんの「Beautiful Sunday」も好きでしたが、こちらが本モノなので。
続いてはオリビア・ニュートン・ジョンの「カントリー・ロード(Take Me Home, Country Roads)」。
1976年暮れから1977年春ごろにかけて流行りました。
この曲もTBSテレビ「おはよう700」のテーマでした。
後年、この曲が聴きたくて、このCDを買いました。
ABBA。
説明が必要ないくらい、日本でも絶大な人気を誇りました。
「Dancing Queen」、「Knowing Me, Knowing You」、「That's Me」、「Tiger」、「Chiquitita」・・・とか好きでしたね。
ビリー・ジョエル「ストレンジャー」。
中学2年生のころ、英語の先生に授業の題材としてこの曲を教えていただきました。
口笛のイントロが印象的。「My
Life」、「Honesty」も収録された「ビリー・ザ・ベスト」のLPを持っていましたが何処へ行ったか・・・
その英語の先生とは、いまでも交流があります。
バグルス「ラジオスターの悲劇(Video Killed The Radio Star)」。
日本では1979年の暮れから1980年春ごろ流行っていました。
ちょうど高校(高専)受験のころでした。
ラジオから聞こえるような声と、合いの手を入れる女性ボーカルの声。
いい味出ていましたね。これも後年、CDを入手しました。
まだまだ他にもありますが、今日はこれくらいにしておきます。
川万
(2016/5/14 14:55:30)
人として「食べられない」ことほど辛いことはありません。
入院して絶食すると食べたくなるものがあります。
それは・・・ウナギ。
浜松赴任中は何度か食べに行きました。
八百徳、かねりん、松葉・・・
久しぶりにウナギが食べたい。
退院して15日。鰻解禁。
ということで、平塚駅近くの川万へ。
私は25年ぶり2回目。XYLは初めて。
平塚で鰻と言えばここかな?と。
今回は「竹」を選択。
贅沢な昼食となりました。美味でした。
やっぱり うなぎは 川万だ!
次は隣の豚丼行ってみよう!
U42のハムライフ・その6
(2016/5/13 8:30:07)
第6回「1st-QSO」
無線局免許状が届いたのが1983年10月21日。
そのとき、まだアンテナがありませんでした。
7MHzに出られればいい・・・と思いつつも、欲張って4BANDのGPを購入。
4BANDと言っても7,14,21,28MHz、電話級なので14MHzには出られません。
でも、このGP、CWを運用するようになってから7MHzのDXには真価を発揮しました。
GPを上げるのは結構大変でした。11月下旬だったと思います。
瓦屋根の上。転倒落下に注意が必要です。
4mほどのマストの上のGPは、その重量で支えるのに四苦八苦。
手伝ってくれた父と2人での作業。今でもよく憶えています。
そして12月上旬。
免許状が届いてから1ヶ月半ほど経過し、ついに第一声。
7MHzでCQに応答すると、すぐにコールバックがありました。
1st-QSOはJR4***、広島の局(三原市?)でした。
ログは保管してあるはずなのですが、手元にありません。
でも、1st-QSOの相手局コールサインはよく憶えています。
総務省の無線局情報検索で検索してもヒットしないので閉局されているようです。
それからというもの、暇さえあれば無線機の前に座っていました。
カエルの大合唱
(2016/5/12 10:10:24)
連休中、平塚の自宅にいたときは、まだ聞こえませんでした。
宇都宮では田んぼに水が張られ、平塚よりも少し早めに田植えが行われるようです。
夜にはカエルの大合唱が聞こえてきます。
このところ梅雨のような天気でしたが、今日は快晴。
外に出たい気分です。
U42のハムライフ・その5
(2016/5/11 8:55:07)
第5回「アマチュア開局へ」
電話級アマチュア無線技士の従事者免許が手元に届いたのは6月上旬。
しかし、開局申請まで3ヶ月ほど要しました。
懸案だったのは無線機。
選択肢としてあったのがTS-830VとTS-660。
どちらを選ぶか・・・ずいぶん悩みました。
どちらもデザインがお気に入りでした。
50MHzか?、それとも7MHzか?・・・
中学の同級生とは「出るなら6mのSSBだなぁ・・・」と話していたものの、いつも賑やかな7MHzに出てみたい気持ちが強く、TS-830Vを選びました。
8月下旬、中国電波監理局に開局申請を提出。
およそ2ヶ月後の1983年10月21日、免許状が届きました。
封筒を開けるときはドキドキしましたね。
どんなコールサインがくるんだろう?・・・って。
なお、JE4OFKの免許年月日は1983年10月18日。
この日を「開局の日」としています。
しかし、免許状は届いたものの、1st-QSOにはまだまだ時間が掛かりました。
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