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JE6EYE の BLOG (2019/12/16 11:05:05)
現在データベースには 21 件のデータが登録されています。
DCRデビュー
(2013/8/26 0:28:06)
ハムフェアに行っている間に、IC-DPR3の無線局登録状が届いていました。
あと1日早ければハムフェアに持って行けたのに^^;
申請して1週間で登録状が到着。運用開始予定は余裕をもって9月中旬にしていたのですが、かなりハイスピードで届きました。アマの申請と比べ無茶苦茶処理が速いですね。
今後はDCRでも各局交信よろしくお願いします!
DCRデビュー
(2013/8/26 0:28:06)
ハムフェアに行っている間に、IC-DPR3の無線局登録状が届いていました。
あと1日早ければハムフェアに持って行けたのに^^;
申請して1週間で登録状が到着。運用開始予定は余裕をもって9月中旬にしていたのですが、かなりハイスピードで届きました。アマの申請と比べ無茶苦茶処理が速いですね。
今後はDCRでも各局交信よろしくお願いします!
ハムフェア2013
(2013/8/26 0:14:13)
8/24~8/25に東京ビックサイトで開催されたハムフェスティバル2013に2日間参戦してきました。
・アイコム
・ケンウッド
・八重洲
・アルインコ
朝早く起きたせいで行きの新幹線の中で寝てしまい、品川についたと思って急いで降りるとそこはまだ神奈川県・・・
仕方なく他の新幹線の自由席に乗り換えて品川を目指すと、なんと品川をスルーして東京に!
有人改札で駅員さんに説明すると、料金は品川と東京で変わらないらしく、自由席に乗ってきたのなら問題ないってことですんなり通してもらえました(汗 こんな事も可能なんですね。
予定外の経路で迷子になりながら、お昼前に何とか会場に到着。関ハムと違い、冷房が効いてて快適でした^^;
以下ハムフェアの様子です。顔が写っている写真は画素数を下げて貼り付けてあります。
・CBCNブース
コールサイン記帳させてもらいました。コールサインを聞けば分かると思いますが、皆さん知らない顔ばかりでお声がけする勇気が出ず・・・
何度かブース前を通過しましたが、CBCNブースの前は1日中多くの人で賑わっていました。ロールコールもあった模様ですが、特小を持参し忘れたため参加できず。DCRも登録申請中のため持参せず。(実はハムフェアに行っている間に届いていました)
ミニゲームもやっているみたいで、子どもたちもたくさん遊んでいました。
スペクロトグラム・オシロ機能を搭載したIC-7800が展示してありました。マウスを無線機につないでモニター内を操作することが可能です。
写真を撮り忘れましたが、D-STAR機を使ってスマホの画像をやりとりする様子も展示されていました。1ラインずつ送っていくSSTVと比べ、ブロック単位で画像を伝送しており、SSTVよりも高速だそうです。デジタル通信のため、画像を送っている最中でも伝送が途切れることなく話すことが可能というものです。
TS-990がズラリと並んだ体験コーナーがあり、皆さん面白そうに触っておられました。
分解されたTS-990内部の展示や、工場で生産している様子のプロモーションビデオなども公開されており、アマチュア無線家としてとても好奇心をそそられるものでした。価格も70万台と高級機にしてはかなり低めに設定されています。
FDMA通信が可能な新製品、FTM-400Dが公開されていました。FT1D、FTDX1200に引き続き、続々と新製品が放出されているヤエスです。IC-7100に続く市場2台目のタッチパネルを搭載した製品で、カラー液晶、4隅につまみを配置したシンプルな無線機です。残念ながら写真なし・・・
こちらもスペクトログラム。かなりのサンプル数で高速にスペクトラムが更新され、驚きました。PCで処理しているのか無線機で処理しているのかはっきり見ていませんでした。性能が気になります。
●戦利品
今回ブースからはあまり購入しませんでしたが、IC-R6を衝動買いしました。今のIC-R5が電池を入れて1週間OFFにしていて何が悪かったのか液漏れし、それからというものの電源を入れると発熱し2時間で電池切れ、、、という症状で使い物にならなかったので、新台入れ替えです。
ラジオライフで厳しい評価が下りたIC-R5燃費の悪さも、IC-R6になってかなり改善しているようです。バックライトが黄→橙と変わっており、デザインもスマートになった気がします。操作感が一緒なので、R5持ちの人は普通に使いこなせます。
●P.S.
現地のハムに連れられ、江ノ電を見てきました。道路の中央を鉄道が走っていて驚き。電車がくると緊急車両が来たように車が左側によって止まり道を譲っていました。残念ながら雨のため、車内からの撮影で綺麗に取れませんでした。電車に道譲り中に撮影。
最後に今回ABくださった各局、ありがとうございいました^^
ハムフェア2013
(2013/8/26 0:14:13)
8/24~8/25に東京ビックサイトで開催されたハムフェスティバル2013に2日間参戦してきました。
・アイコム
・ケンウッド
・八重洲
・アルインコ
朝早く起きたせいで行きの新幹線の中で寝てしまい、品川についたと思って急いで降りるとそこはまだ神奈川県・・・
仕方なく他の新幹線の自由席に乗り換えて品川を目指すと、なんと品川をスルーして東京に!
有人改札で駅員さんに説明すると、料金は品川と東京で変わらないらしく、自由席に乗ってきたのなら問題ないってことですんなり通してもらえました(汗 こんな事も可能なんですね。
予定外の経路で迷子になりながら、お昼前に何とか会場に到着。関ハムと違い、冷房が効いてて快適でした^^;
以下ハムフェアの様子です。顔が写っている写真は画素数を下げて貼り付けてあります。
・CBCNブース
コールサイン記帳させてもらいました。コールサインを聞けば分かると思いますが、皆さん知らない顔ばかりでお声がけする勇気が出ず・・・
何度かブース前を通過しましたが、CBCNブースの前は1日中多くの人で賑わっていました。ロールコールもあった模様ですが、特小を持参し忘れたため参加できず。DCRも登録申請中のため持参せず。(実はハムフェアに行っている間に届いていました)
ミニゲームもやっているみたいで、子どもたちもたくさん遊んでいました。
スペクロトグラム・オシロ機能を搭載したIC-7800が展示してありました。マウスを無線機につないでモニター内を操作することが可能です。
写真を撮り忘れましたが、D-STAR機を使ってスマホの画像をやりとりする様子も展示されていました。1ラインずつ送っていくSSTVと比べ、ブロック単位で画像を伝送しており、SSTVよりも高速だそうです。デジタル通信のため、画像を送っている最中でも伝送が途切れることなく話すことが可能というものです。
TS-990がズラリと並んだ体験コーナーがあり、皆さん面白そうに触っておられました。
分解されたTS-990内部の展示や、工場で生産している様子のプロモーションビデオなども公開されており、アマチュア無線家としてとても好奇心をそそられるものでした。価格も70万台と高級機にしてはかなり低めに設定されています。
FDMA通信が可能な新製品、FTM-400Dが公開されていました。FT1D、FTDX1200に引き続き、続々と新製品が放出されているヤエスです。IC-7100に続く市場2台目のタッチパネルを搭載した製品で、カラー液晶、4隅につまみを配置したシンプルな無線機です。残念ながら写真なし・・・
こちらもスペクトログラム。かなりのサンプル数で高速にスペクトラムが更新され、驚きました。PCで処理しているのか無線機で処理しているのかはっきり見ていませんでした。性能が気になります。
●戦利品
今回ブースからはあまり購入しませんでしたが、IC-R6を衝動買いしました。今のIC-R5が電池を入れて1週間OFFにしていて何が悪かったのか液漏れし、それからというものの電源を入れると発熱し2時間で電池切れ、、、という症状で使い物にならなかったので、新台入れ替えです。
ラジオライフで厳しい評価が下りたIC-R5燃費の悪さも、IC-R6になってかなり改善しているようです。バックライトが黄→橙と変わっており、デザインもスマートになった気がします。操作感が一緒なので、R5持ちの人は普通に使いこなせます。
●P.S.
現地のハムに連れられ、江ノ電を見てきました。道路の中央を鉄道が走っていて驚き。電車がくると緊急車両が来たように車が左側によって止まり道を譲っていました。残念ながら雨のため、車内からの撮影で綺麗に取れませんでした。電車に道譲り中に撮影。
最後に今回ABくださった各局、ありがとうございいました^^
お盆休みのお買い物
(2013/8/18 22:22:01)
お盆休み、地元で行きつけの無線ショップで IC-7100M と IC-DPR3
の2種類を購入してきました (^^)v
学生時代は手が出せなかったDCRも今期デビューです 。
本日の日本縦断伝言大会の状況を見させて頂いてとても面白そうでした。結果はどうなったんでしょうね。
開局申請と変更申請の封筒をいま一生懸命書いているとことです。
今週中に申請書を送り出す予定なので、開局まで待ち遠しいです。
お盆休みのお買い物
(2013/8/18 22:22:01)
お盆休み、地元で行きつけの無線ショップで IC-7100M と IC-DPR3
の2種類を購入してきました (^^)v
学生時代は手が出せなかったDCRも今期デビューです 。
本日の日本縦断伝言大会の状況を見させて頂いてとても面白そうでした。結果はどうなったんでしょうね。
開局申請と変更申請の封筒をいま一生懸命書いているとことです。
今週中に申請書を送り出す予定なので、開局まで待ち遠しいです。
DDS関係の工作
(2013/7/20 15:40:58)
ご無沙汰しております。
大阪に引っ越して片付けなどのバタバタも落ち着き、ようやくこの地域にも慣れて来ました。
コンビニでお茶を2本買うお金で日本橋を往復でき、週末はパーツ屋巡りができて幸せです(>_<)
さてさて、週末は一日中電子工作にふけているわけですが、最近作ってるものがあります。
ジャンクを部品取りして出に入れたDDSがあったので、いろいろマイコンを買ってきて制御してみました。
高専時代はPIC小僧だったのですが、今季になってArduinoやSTM32を使ってみた感じ、Arduinoがかなりお手軽でした。
デバッグも簡単だし、マイコンボードとして回路も汎用的に使えるものだし、変なライブラリ(STM32)を読み込む必要がないし・・・
ただ、ちょっと動作が遅いのが気になりますね。4クロック1サイクルとして動作するPICと違い、1:1で動作するArduinoは速いと思い込んでいましたが、IOに関しては、
Cで書いたArduinoはアセンブラで書いたPICにはかないません。Arduinoでは直接IOレジスタに書き込んでなんとか速度を確保しています。内部処理については、Cのほうが書きやすく、速度もそこそこでるので問題なく使えます。
このDDS(AD9834)とArduino UNO
R3を使って、なにができるか先行きははっきりしませんが、ログアンプのAD8307を使いちょっとした測定器モドキを作ってみました。本当はLCDに表示させたかったのですが、安価に惑わされてドライバの入っていないダイナミック方式のLCDを買ってきたため、マイコンじゃ手に負えません・・・(メモリが圧倒的にたりない)
しかたなく、先年サウンドカードを使ったFFTのアプリケーションを流用して表示させることにしました。
とりあえず、オーディオ帯域の測定ができるようにしたのですが、
最初はノイズフロアが-5dBmとかなり高く、何が原因かといろいろいじっていると、どうもAD8307のカップリングコンデンサが大きすぎるせいだとわかりました。カップリングを100uF→0.1uFにすると、かなり改善。ノイズは約-55dBmに下がりました。
ですが、それでもAD8307のスペックに対してはかなり高いです。
それに、カップリングが小さいせいで低周波のカットオフ周波数が約1.5kHzと、オーディオとして使えるものではありません。
周波数帯域の話はおいておいて、机の上でAD8307のチェックをした時のノイズと、こうやって動かしている時のノイズに差があることに気づきました。
いろいろ抜き差ししてみると・・・どうもDDSが悪さをしているようでした。AD8307の入力を短絡した状態でDDSの電源を抜いてみると、20dB近くノイズが下がりました。これでかなりスペックに近いレベルに近づきました。
DDSとログアンプの信号ラインは繋がっていないので、どうやら電源ラインに対策が必要そうです。
ただ、部品規模に対してユニバーサル基板で作った基板サイズがかなり大きいので、シールドするにはかなり大掛かりになります。とりあえず電源関係をいじってみましょう。そしてUSBバスパワーはいい加減やめます(笑)
DDS関係の工作
(2013/7/20 15:40:58)
ご無沙汰しております。
大阪に引っ越して片付けなどのバタバタも落ち着き、ようやくこの地域にも慣れて来ました。
コンビニでお茶を2本買うお金で日本橋を往復でき、週末はパーツ屋巡りができて幸せです(>_<)
さてさて、週末は一日中電子工作にふけているわけですが、最近作ってるものがあります。
ジャンクを部品取りして出に入れたDDSがあったので、いろいろマイコンを買ってきて制御してみました。
高専時代はPIC小僧だったのですが、今季になってArduinoやSTM32を使ってみた感じ、Arduinoがかなりお手軽でした。
デバッグも簡単だし、マイコンボードとして回路も汎用的に使えるものだし、変なライブラリ(STM32)を読み込む必要がないし・・・
ただ、ちょっと動作が遅いのが気になりますね。4クロック1サイクルとして動作するPICと違い、1:1で動作するArduinoは速いと思い込んでいましたが、IOに関しては、
Cで書いたArduinoはアセンブラで書いたPICにはかないません。Arduinoでは直接IOレジスタに書き込んでなんとか速度を確保しています。内部処理については、Cのほうが書きやすく、速度もそこそこでるので問題なく使えます。
このDDS(AD9834)とArduino UNO
R3を使って、なにができるか先行きははっきりしませんが、ログアンプのAD8307を使いちょっとした測定器モドキを作ってみました。本当はLCDに表示させたかったのですが、安価に惑わされてドライバの入っていないダイナミック方式のLCDを買ってきたため、マイコンじゃ手に負えません・・・(メモリが圧倒的にたりない)
しかたなく、先年サウンドカードを使ったFFTのアプリケーションを流用して表示させることにしました。
とりあえず、オーディオ帯域の測定ができるようにしたのですが、
最初はノイズフロアが-5dBmとかなり高く、何が原因かといろいろいじっていると、どうもAD8307のカップリングコンデンサが大きすぎるせいだとわかりました。カップリングを100uF→0.1uFにすると、かなり改善。ノイズは約-55dBmに下がりました。
ですが、それでもAD8307のスペックに対してはかなり高いです。
それに、カップリングが小さいせいで低周波のカットオフ周波数が約1.5kHzと、オーディオとして使えるものではありません。
周波数帯域の話はおいておいて、机の上でAD8307のチェックをした時のノイズと、こうやって動かしている時のノイズに差があることに気づきました。
いろいろ抜き差ししてみると・・・どうもDDSが悪さをしているようでした。AD8307の入力を短絡した状態でDDSの電源を抜いてみると、20dB近くノイズが下がりました。これでかなりスペックに近いレベルに近づきました。
DDSとログアンプの信号ラインは繋がっていないので、どうやら電源ラインに対策が必要そうです。
ただ、部品規模に対してユニバーサル基板で作った基板サイズがかなり大きいので、シールドするにはかなり大掛かりになります。とりあえず電源関係をいじってみましょう。そしてUSBバスパワーはいい加減やめます(笑)
最後の学生生活
(2013/3/8 0:41:22)
このところ、就職活動に影響するのが怖くて更新を控えていましたが、そのうちすっかりブログのことを忘れていました(汗(汗
始めの頃は1日1更新したりとかなりネットに時間を使っていましたが、この5年間で大分変わりました。
趣味と勉強の比率はガラッと変わり、更に研究などが加わって最後の1年間は大忙しで、8時半から学校へ行き、22時まで研究をして、時間がある時はひたすら睡眠をとっていた1年間でした。
期末テストも研究発表も終わり、残るは卒業が待ち受けるのみとなりました。
長かった寮生活も終わり、寮の荷物は全て持ち帰るか処分しました。
処分したものには懐かしいものや入学当時の思い出があるものもたくさん有りましたが、何でもかんでも大事にとっておくと処分できない荷物が瞬く間に増えていくのを私は知っています。そういう先生がいるので(笑
そのため、必要最低限の荷物+無線関係のものしか手元に残しませんでした。あとは思い出の品をちょこっと。
思い返してみるとこの5年間、無線をきっかけに様々な人と知り合いました。
フリーライセンス無線家の方々、アマチュア無線家の方々、そして同年代の無線家の人達。
今は非公開に設定していますが、ブログを始めたころの記事を見ていると本当に懐かしいです。
今の電気・無線の人生の全ては小学校1年生の頃に始まりました。
図書館の電気関係のコーナーで、送電についての漫画や、電子工作の本を毎週借りていました。
両親の話によると、小学校低学年の頃から「電線が3本ある理由」について興味をもち、通学中も車での移動中も常に電線を見ながら過ごしていたそうです。
こうやって話を聞いていると、私と電気との関係は運命なんだろうと思います。
翌年小学2年製の頃、借りた本の背表紙を見て天神にパーツショップがあることを知り、父親に連れて行ってもらいました。
図書館で借りている本はキットものではなく、ユニバーサル基板で制作するものばかりで、この年からパーツショップで部品を1つ1つ買い、ユニバーサル基板で回路を組み立てていました。
小学3年生のころサンタさんにテスターを頼みました。小学3年生のクリスマスプレゼントがテスターだなんておかしいですよね(笑
「両親は工学系の人なの?」とよく言われますが、うちの両親はこういうものとは全くの無縁で、全ては私の好奇心によるものでした。
小学校高学年になると、「子供の科学」という雑誌を毎月買うようになり、電子工作コーナーとjava_scriptのプログラミングコーナーは切抜きしてファイリングする程でした。
中学生になって「トランジスタ技術」を毎月買って読むようになりました。この時から電子回路設計について独学でかなり勉強し、中学校の時に身につけた知識は高専の5年生の内容でも部分的にはまだ余るほどで、高専の授業では物足りなかったのが正直な感想です。しかし、高専の授業は数学的に回路解析する点では、非常に役に立ちました。
電気に目覚めたのは小学校に入りたてのころでしたが、無線に目覚めたのはいつの頃からか、中学生の時にパーツショップに並んでいた広帯域受信機が目に止まったのが始まりです。なんなんでしょうね、こういった何も知らないものに引き寄せられるのは今になってもよくわかりません。
といっても広帯域受信機というものは、1/4Wのカーボン抵抗器と比べものにならないほど高価なものでとても手を出せず、クリスマスプレゼントにIC-R5を買ってもらいました。
最初はラジオを聞いたり、よくわからない無線を傍受したりしていましたが、夜の9時ごろに活発になるながーいローカル局の日常話が聞こえてきたのがアマチュア無線に知り合ったきっかけです。
工学系の勉強をしたかったため、私は高専という進学先を選びました。
今思うと、高専に入ってよかったという思いが50%、後悔が50%です。
高専は安定した就職率、すなわち即戦力になる高度な技術と知識をもった人材を育てるのが売りです。
高専を卒業した人は全員技術者の卵であり、企業と大学に放出されます。
卒業生のうち1/4~1/3は大学に進学していきます。高専は進学校でないためか、普通の高校と違い「猛勉強」という雰囲気がなく、最初の数年はだらーっと過ごしていました。これが今となっては仇となり、進学校へ進学した人との差が開くことになりました。
高専に入るには中学校では少なくとも並以上の成績が必要です。高専に入って最初から本気で勉強していれば、いい大学に行けたのにというのが最大の後悔です。
しかし、高専に入ったからこそ今の自分があります。自分の愛する電気の勉強が、学校という場所でできたのは、他の人とくらべて幸運です。
同じ電気科の同級生の中で見ても、自分の好きなことを勉強できたという点では、他の誰にも負けないと思っています。
電気の勉強を続けて学校の電気の先生になるのも1つの道でした。
卒業研究で他の人を指導する経験がありました。教えるのは下手くそでしたが、自分は教えるのが好きなのかもしれないと感じました。
内定を頂いてもうかなり時間がたちましたが、今年の4月から無線関係の企業に就職することになりました。
高専に入って無線を始めてから、私の夢は「無線の回路設計をする」ことだけでした。
近年、「人が企業を選ぶ」という困った状況が増えていますが、私は「その企業に自分を選んでもらえる」よう必死でした。
まだ当時は5月でしたが、その企業に選んでもらえなければ進学に切り替えようと思っているほどでした。
これからも好きな電気、無線の仕事が一生できると思うと幸せです。
趣味(の分野)を仕事にする、というのは賛否様々ありますが、私は趣味を仕事にしたいと思っていました。
決して仕事を遊びでやるという意味ではありません。法律が好きな人が弁護士になったりするように、電気が好きな人が技術者となるという意味です。
好きでもない仕事を淡々とやるというのは私には耐えられそうに無いと思いました。
そのため、安定した職業として人気が高い、公務員には絶対になりたくないと思っていました。
こうして私も4月から社会人となり、好きな仕事をできるのは知り合った皆様のお陰であり、大変感謝しています。
いろんな人と出会い、その道に乗せてもらったからこそ今の現実があります。
もし、このブログを始めずに普通の生活を送っていれば、今頃何をしているか想像もつきません。
ブログ開設から5年間、お付き合いいただいた皆様にお礼を言わせていただきます。
今まで本当にありがとうございました。
--------
P.S.
さよならの挨拶のようですが、ブログはまだまだ続きます^^
ネタがあれば投入していきますので、今後ともよろしくお願いします。
P.P.S.
国語の勉強がしたい(作文能力)
始めの頃は1日1更新したりとかなりネットに時間を使っていましたが、この5年間で大分変わりました。
趣味と勉強の比率はガラッと変わり、更に研究などが加わって最後の1年間は大忙しで、8時半から学校へ行き、22時まで研究をして、時間がある時はひたすら睡眠をとっていた1年間でした。
期末テストも研究発表も終わり、残るは卒業が待ち受けるのみとなりました。
長かった寮生活も終わり、寮の荷物は全て持ち帰るか処分しました。
処分したものには懐かしいものや入学当時の思い出があるものもたくさん有りましたが、何でもかんでも大事にとっておくと処分できない荷物が瞬く間に増えていくのを私は知っています。そういう先生がいるので(笑
そのため、必要最低限の荷物+無線関係のものしか手元に残しませんでした。あとは思い出の品をちょこっと。
思い返してみるとこの5年間、無線をきっかけに様々な人と知り合いました。
フリーライセンス無線家の方々、アマチュア無線家の方々、そして同年代の無線家の人達。
今は非公開に設定していますが、ブログを始めたころの記事を見ていると本当に懐かしいです。
今の電気・無線の人生の全ては小学校1年生の頃に始まりました。
図書館の電気関係のコーナーで、送電についての漫画や、電子工作の本を毎週借りていました。
両親の話によると、小学校低学年の頃から「電線が3本ある理由」について興味をもち、通学中も車での移動中も常に電線を見ながら過ごしていたそうです。
こうやって話を聞いていると、私と電気との関係は運命なんだろうと思います。
翌年小学2年製の頃、借りた本の背表紙を見て天神にパーツショップがあることを知り、父親に連れて行ってもらいました。
図書館で借りている本はキットものではなく、ユニバーサル基板で制作するものばかりで、この年からパーツショップで部品を1つ1つ買い、ユニバーサル基板で回路を組み立てていました。
小学3年生のころサンタさんにテスターを頼みました。小学3年生のクリスマスプレゼントがテスターだなんておかしいですよね(笑
「両親は工学系の人なの?」とよく言われますが、うちの両親はこういうものとは全くの無縁で、全ては私の好奇心によるものでした。
小学校高学年になると、「子供の科学」という雑誌を毎月買うようになり、電子工作コーナーとjava_scriptのプログラミングコーナーは切抜きしてファイリングする程でした。
中学生になって「トランジスタ技術」を毎月買って読むようになりました。この時から電子回路設計について独学でかなり勉強し、中学校の時に身につけた知識は高専の5年生の内容でも部分的にはまだ余るほどで、高専の授業では物足りなかったのが正直な感想です。しかし、高専の授業は数学的に回路解析する点では、非常に役に立ちました。
電気に目覚めたのは小学校に入りたてのころでしたが、無線に目覚めたのはいつの頃からか、中学生の時にパーツショップに並んでいた広帯域受信機が目に止まったのが始まりです。なんなんでしょうね、こういった何も知らないものに引き寄せられるのは今になってもよくわかりません。
といっても広帯域受信機というものは、1/4Wのカーボン抵抗器と比べものにならないほど高価なものでとても手を出せず、クリスマスプレゼントにIC-R5を買ってもらいました。
最初はラジオを聞いたり、よくわからない無線を傍受したりしていましたが、夜の9時ごろに活発になるながーいローカル局の日常話が聞こえてきたのがアマチュア無線に知り合ったきっかけです。
工学系の勉強をしたかったため、私は高専という進学先を選びました。
今思うと、高専に入ってよかったという思いが50%、後悔が50%です。
高専は安定した就職率、すなわち即戦力になる高度な技術と知識をもった人材を育てるのが売りです。
高専を卒業した人は全員技術者の卵であり、企業と大学に放出されます。
卒業生のうち1/4~1/3は大学に進学していきます。高専は進学校でないためか、普通の高校と違い「猛勉強」という雰囲気がなく、最初の数年はだらーっと過ごしていました。これが今となっては仇となり、進学校へ進学した人との差が開くことになりました。
高専に入るには中学校では少なくとも並以上の成績が必要です。高専に入って最初から本気で勉強していれば、いい大学に行けたのにというのが最大の後悔です。
しかし、高専に入ったからこそ今の自分があります。自分の愛する電気の勉強が、学校という場所でできたのは、他の人とくらべて幸運です。
同じ電気科の同級生の中で見ても、自分の好きなことを勉強できたという点では、他の誰にも負けないと思っています。
電気の勉強を続けて学校の電気の先生になるのも1つの道でした。
卒業研究で他の人を指導する経験がありました。教えるのは下手くそでしたが、自分は教えるのが好きなのかもしれないと感じました。
内定を頂いてもうかなり時間がたちましたが、今年の4月から無線関係の企業に就職することになりました。
高専に入って無線を始めてから、私の夢は「無線の回路設計をする」ことだけでした。
近年、「人が企業を選ぶ」という困った状況が増えていますが、私は「その企業に自分を選んでもらえる」よう必死でした。
まだ当時は5月でしたが、その企業に選んでもらえなければ進学に切り替えようと思っているほどでした。
これからも好きな電気、無線の仕事が一生できると思うと幸せです。
趣味(の分野)を仕事にする、というのは賛否様々ありますが、私は趣味を仕事にしたいと思っていました。
決して仕事を遊びでやるという意味ではありません。法律が好きな人が弁護士になったりするように、電気が好きな人が技術者となるという意味です。
好きでもない仕事を淡々とやるというのは私には耐えられそうに無いと思いました。
そのため、安定した職業として人気が高い、公務員には絶対になりたくないと思っていました。
こうして私も4月から社会人となり、好きな仕事をできるのは知り合った皆様のお陰であり、大変感謝しています。
いろんな人と出会い、その道に乗せてもらったからこそ今の現実があります。
もし、このブログを始めずに普通の生活を送っていれば、今頃何をしているか想像もつきません。
ブログ開設から5年間、お付き合いいただいた皆様にお礼を言わせていただきます。
今まで本当にありがとうございました。
--------
P.S.
さよならの挨拶のようですが、ブログはまだまだ続きます^^
ネタがあれば投入していきますので、今後ともよろしくお願いします。
P.P.S.
国語の勉強がしたい(作文能力)
片目だけ二重まぶたになった経験
(2012/4/22 23:27:24)
ご無沙汰しております。
最近、無線ネタというネタがありません・・・
無線のお話といえば、今年の西日本ハムフェアに「行き損ねた」ぐらいでして^^;
昨年の西日本ハムフェアでお預かりしたままのAN77局さんのボールペンを返す予定だったのですが。m(_ _)m
さて、というわけでブログのネタとして、最近(と言っても2ヶ月くらい前の事)片目だけ二重になった経験談を書こうと思います。
今は完全に一重にもどりましたが、こういった悩みを持たれている方に少しでも役に立てればと思います。
これから書くことはあくまで「経験談」であり、直るという保証は全くありませんので、あらかじめご理解下さい。
それでは。文章のみとなりますが。
●徹夜しまくった期末試験期間中
あれは毎日徹夜した期末試験の後半あたりからでしょうか。100分ほど睡眠をとって目が覚めると、左目のまぶたに違和感が。自分は目に力を入れて一時的に二重に出来る人(瞬きをすればすぐに戻ります)なので、違和感というよりかは完全に二重になった感覚ですね。しかし、今回はまばたきをしても元には戻りません。
といっても、今は期末試験の真っ最中なので、そんなことにかまってられません。教室に行って試験を受けて、帰ってきてちょっと寝て、勉強して朝になってまたちょっと寝て、という感じでした。(自分の周りでは試験中にこういった生活習慣になることは珍しくはありません。もちろん良いことではありませんが。)
そして試験期間が終わり、ようやく二重になった事を考える時間ができました。考えるといっても二重になってるなーって思うだけですが。毎日3~4時間しか寝ていなかったこともあり、どうせ寝不足だろうと思い最初の頃は気にしていませんでした。
●試験後の数日
期末試験も終わり、特に再試にも引っかからず、生活習慣も小学生並に良くなり早寝早起き朝ご飯を繰り返すようになって5日ほど。1週間ほど前から続いている左目だけ二重まぶたがまだなおりません。なおるどころか、二重になった状態に慣れてしまって、二重になっている事さえ忘れ始めた頃、ようやく事の重大さに悩み始めました。片目だけ二重になった違和感は慣れてしまえば自分自身は全く問題ないのですが、問題なのは見た目のほう。左目だけ二重まぶたでは、いつも眠そうにみえます。はっきり言って、他人から見た第一印象は「睡眠不足で片目だけ二重になってて、だらしない。」です。今年は就活もあり、片目だけ二重になっているとかなり大きなマイナスになるんじゃないかと焦り始めました。
インターネットでいろいろ調べていると、片目だけ二重になった方の苦痛や悲しみを書きつづったサイトがたくさんありました。今の私のように、突然片目だけ二重になった方が大半で、それも一生直らないようでした。このとき、自分の気持ちはここ数日で絶不調でしたね。
そして、この片目だけ二重になった状態を解決する方法はただ一つ。両目とも二重にすることです。しかし、両目とも二重にすることには大きな懸念がありました。それは両目とも二重にする方法です。アイプチ(R)はアイプチで毎日やらなければなりませんし、したくないのなら整形手術です。それも手術で一重から二重にすることは出来ても、二重から一重にすることは出来ません。そう思うとぞっとしました。女性で「かわいいから二重になりたい」、と言う方は大勢いますが、自分は「一重のままでいたい」思いでした。
●がんばって一重に戻した1週間
片目だけ二重になってほぼ10日、二重の感覚が完全に無くなりました。目を開いた時にまぶたを引っ込ませるように力が働く二重まぶた化化粧品に対して、元から二重の方はまぶたが手のしわのようになっていて、目が開いたときにそこがひっこむようになっています。自分のまぶたを鏡で見てみると、確かにシワが出来ていました。しかし、手のシワほどかなりはっきりとしたシワではない。まだこの状態だったら、もしかすると直るかもと思いました。
ここからがまぶた矯正の1週間の始まりです。
まず、最初のほうは目を開いた状態でまぶたの下を持って、瞳を傷つけないように二重になっている所のシワとたるみを軽く引っ張ります。そして引き延ばしたシワは、まぶたの内側に入れるような感覚で目にしっかり力を入れて見開きます。二重の時はどちらかというと見開いた時に外側にまぶたがめくれて、まぶたの皮が余るので二重になる訳で、シワになるような皮をなくせば二重にはならないわけです。手のひらも握ったときに皮が余るのでシワとなるわけで。その感覚でまぶたを内側にめくるように目を見開いた後、瞬きをするとまた二重に戻ります。ここで重要なのは、さっき無理矢理一重にしたまぶたの感覚を覚えておくこと。また見開いたときに二重にならないよう、まぶたのやや下側に指の側面を軽くふれさせて手を動かさないで目を開くと、まぶたは内側に入り込むように開き、二重になっている部分のシワが張ります。まつげが目に入らないように注意。この感覚を覚えて、この感覚になるように目の周りの筋肉を使いながら、目を開くようにします。このあたりの筋肉は普段ほとんど使わないので、訓練して動くようにします。(眉毛の上や耳の下をピクピクさせることが出来る人と同じ。)筋肉や神経が付き得ない場所では無いので、練習次第で動かせるようにはなるはずです。ただ、その感覚をつかむ練習が難しい。
感覚的には、眉間にシワを寄せるように軽く力を入れて、まぶたに上のほうから力を入れて目をギロっと見開く。こんな感じです。こうすると、先ほど手でやったようにまぶたの先端が軽く内側にめくれ、二重のシワを引き延ばし、一重を維持することが出来ます。ただ、まつげが目に入らないように注意。
しばらくこうやっていると、シワが軽くのびて、ふつうに目を開いても二重にならないようになります。しかし、数分するとまた二重になるので、二重になるとまたシワがついて二重になりやすくなります。重要なのは二重のシワを付けさせないこと。力を入れていれば二重になることはありませんが、ふと忘れていると、いつの間にか二重になってしまいます。二重になったらまた力を入れるなり指を使うなりで先ほどの説明のようにシワを引き延ばす形に矯正します。
1日もすれば、前日のように力を入れなくても一重を維持できるようになります。しかし油断は禁物。少し良くなったからと油断していると、また二重に戻ってしまいます。こうならないように数日は意識して目を開いていると、自然とまぶたのシワが引き延ばされ、ふつうに目を開いても二重にならないようになります。私の場合はここまで1週間。ここまでくれば、ふつうに目を開いて生活しているだけでシワが薄れていきます。
●あとがき
そんなこんなで、今は完全に一重にもどり、いつも通り普通に生活できます。
ポイントは、二重になる部分のシワがくっきりとつかないうちに引き延ばして一重に戻すこと。ここが重要で、これが出来る期間は感覚的に二重になり出してから2週間ほどだと思います。シワがくっきりとついてしまえば、もうどうにも出来ません。
就活で首から下はスーツと革靴でキッチリなのに、片目だけ二重では格好悪いですよね。こうならないためにも、片目だけ二重になり出したら早急に処置すること。放置すれば最後は化粧するなり手術するなりで両目とも二重にするほかありません。自分はこうなる前に処置できてラッキーでした。
最後に、繰り返すようですがこれは「アドバイス」であり、なおるという保証はありません。また、無理におこなうと瞳を傷つけたりしかねないので、なり出したら早めに医者に相談することをおすすめします。
以上、一人でもこの悩みを解決する手助けが出来れば幸いです。
EYEの久しぶりのブログ更新でした。
文章がおかしいところは訂正していきます。時間があったら・・・
最近、無線ネタというネタがありません・・・
無線のお話といえば、今年の西日本ハムフェアに「行き損ねた」ぐらいでして^^;
昨年の西日本ハムフェアでお預かりしたままのAN77局さんのボールペンを返す予定だったのですが。m(_ _)m
さて、というわけでブログのネタとして、最近(と言っても2ヶ月くらい前の事)片目だけ二重になった経験談を書こうと思います。
今は完全に一重にもどりましたが、こういった悩みを持たれている方に少しでも役に立てればと思います。
これから書くことはあくまで「経験談」であり、直るという保証は全くありませんので、あらかじめご理解下さい。
それでは。文章のみとなりますが。
●徹夜しまくった期末試験期間中
あれは毎日徹夜した期末試験の後半あたりからでしょうか。100分ほど睡眠をとって目が覚めると、左目のまぶたに違和感が。自分は目に力を入れて一時的に二重に出来る人(瞬きをすればすぐに戻ります)なので、違和感というよりかは完全に二重になった感覚ですね。しかし、今回はまばたきをしても元には戻りません。
といっても、今は期末試験の真っ最中なので、そんなことにかまってられません。教室に行って試験を受けて、帰ってきてちょっと寝て、勉強して朝になってまたちょっと寝て、という感じでした。(自分の周りでは試験中にこういった生活習慣になることは珍しくはありません。もちろん良いことではありませんが。)
そして試験期間が終わり、ようやく二重になった事を考える時間ができました。考えるといっても二重になってるなーって思うだけですが。毎日3~4時間しか寝ていなかったこともあり、どうせ寝不足だろうと思い最初の頃は気にしていませんでした。
●試験後の数日
期末試験も終わり、特に再試にも引っかからず、生活習慣も小学生並に良くなり早寝早起き朝ご飯を繰り返すようになって5日ほど。1週間ほど前から続いている左目だけ二重まぶたがまだなおりません。なおるどころか、二重になった状態に慣れてしまって、二重になっている事さえ忘れ始めた頃、ようやく事の重大さに悩み始めました。片目だけ二重になった違和感は慣れてしまえば自分自身は全く問題ないのですが、問題なのは見た目のほう。左目だけ二重まぶたでは、いつも眠そうにみえます。はっきり言って、他人から見た第一印象は「睡眠不足で片目だけ二重になってて、だらしない。」です。今年は就活もあり、片目だけ二重になっているとかなり大きなマイナスになるんじゃないかと焦り始めました。
インターネットでいろいろ調べていると、片目だけ二重になった方の苦痛や悲しみを書きつづったサイトがたくさんありました。今の私のように、突然片目だけ二重になった方が大半で、それも一生直らないようでした。このとき、自分の気持ちはここ数日で絶不調でしたね。
そして、この片目だけ二重になった状態を解決する方法はただ一つ。両目とも二重にすることです。しかし、両目とも二重にすることには大きな懸念がありました。それは両目とも二重にする方法です。アイプチ(R)はアイプチで毎日やらなければなりませんし、したくないのなら整形手術です。それも手術で一重から二重にすることは出来ても、二重から一重にすることは出来ません。そう思うとぞっとしました。女性で「かわいいから二重になりたい」、と言う方は大勢いますが、自分は「一重のままでいたい」思いでした。
●がんばって一重に戻した1週間
片目だけ二重になってほぼ10日、二重の感覚が完全に無くなりました。目を開いた時にまぶたを引っ込ませるように力が働く二重まぶた化化粧品に対して、元から二重の方はまぶたが手のしわのようになっていて、目が開いたときにそこがひっこむようになっています。自分のまぶたを鏡で見てみると、確かにシワが出来ていました。しかし、手のシワほどかなりはっきりとしたシワではない。まだこの状態だったら、もしかすると直るかもと思いました。
ここからがまぶた矯正の1週間の始まりです。
まず、最初のほうは目を開いた状態でまぶたの下を持って、瞳を傷つけないように二重になっている所のシワとたるみを軽く引っ張ります。そして引き延ばしたシワは、まぶたの内側に入れるような感覚で目にしっかり力を入れて見開きます。二重の時はどちらかというと見開いた時に外側にまぶたがめくれて、まぶたの皮が余るので二重になる訳で、シワになるような皮をなくせば二重にはならないわけです。手のひらも握ったときに皮が余るのでシワとなるわけで。その感覚でまぶたを内側にめくるように目を見開いた後、瞬きをするとまた二重に戻ります。ここで重要なのは、さっき無理矢理一重にしたまぶたの感覚を覚えておくこと。また見開いたときに二重にならないよう、まぶたのやや下側に指の側面を軽くふれさせて手を動かさないで目を開くと、まぶたは内側に入り込むように開き、二重になっている部分のシワが張ります。まつげが目に入らないように注意。この感覚を覚えて、この感覚になるように目の周りの筋肉を使いながら、目を開くようにします。このあたりの筋肉は普段ほとんど使わないので、訓練して動くようにします。(眉毛の上や耳の下をピクピクさせることが出来る人と同じ。)筋肉や神経が付き得ない場所では無いので、練習次第で動かせるようにはなるはずです。ただ、その感覚をつかむ練習が難しい。
感覚的には、眉間にシワを寄せるように軽く力を入れて、まぶたに上のほうから力を入れて目をギロっと見開く。こんな感じです。こうすると、先ほど手でやったようにまぶたの先端が軽く内側にめくれ、二重のシワを引き延ばし、一重を維持することが出来ます。ただ、まつげが目に入らないように注意。
しばらくこうやっていると、シワが軽くのびて、ふつうに目を開いても二重にならないようになります。しかし、数分するとまた二重になるので、二重になるとまたシワがついて二重になりやすくなります。重要なのは二重のシワを付けさせないこと。力を入れていれば二重になることはありませんが、ふと忘れていると、いつの間にか二重になってしまいます。二重になったらまた力を入れるなり指を使うなりで先ほどの説明のようにシワを引き延ばす形に矯正します。
1日もすれば、前日のように力を入れなくても一重を維持できるようになります。しかし油断は禁物。少し良くなったからと油断していると、また二重に戻ってしまいます。こうならないように数日は意識して目を開いていると、自然とまぶたのシワが引き延ばされ、ふつうに目を開いても二重にならないようになります。私の場合はここまで1週間。ここまでくれば、ふつうに目を開いて生活しているだけでシワが薄れていきます。
●あとがき
そんなこんなで、今は完全に一重にもどり、いつも通り普通に生活できます。
ポイントは、二重になる部分のシワがくっきりとつかないうちに引き延ばして一重に戻すこと。ここが重要で、これが出来る期間は感覚的に二重になり出してから2週間ほどだと思います。シワがくっきりとついてしまえば、もうどうにも出来ません。
就活で首から下はスーツと革靴でキッチリなのに、片目だけ二重では格好悪いですよね。こうならないためにも、片目だけ二重になり出したら早急に処置すること。放置すれば最後は化粧するなり手術するなりで両目とも二重にするほかありません。自分はこうなる前に処置できてラッキーでした。
最後に、繰り返すようですがこれは「アドバイス」であり、なおるという保証はありません。また、無理におこなうと瞳を傷つけたりしかねないので、なり出したら早めに医者に相談することをおすすめします。
以上、一人でもこの悩みを解決する手助けが出来れば幸いです。
EYEの久しぶりのブログ更新でした。
文章がおかしいところは訂正していきます。時間があったら・・・
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